ピンクパンサー

シネマの宝石学
―洗練された大人のおとぎ話05

ピンクの豹という名の快楽

泥棒は悪いものだけど、花泥棒と宝石泥棒に関しては、特別扱いされがちである。花泥棒はともかく、古来、王族の持ち物である名宝も、インドの寺院から、盗まれたものもあるくらい、宝石と泥棒はきっても切れない間柄なのだ。博物館や宝石店には申し訳ないが、宝石は、夢の一部でもあるのだから、お話のなかで愉しむくらいは、ゆるしていただきたいのである。

アガサ・クリスティ、ホームズもの、ルパンシリーズなど、ミステリーに、欠かせないのはもちろん、宝石泥棒のテーマは、映画にも多く登場している。今回ご紹介するのは、なかでも極め付けに愉快な1960年代映画、[ピンクパンサー]である。何の風刺も、隠されたメッセージもなく、お馬鹿なくらい、ただただ楽しい映画。いってみれば、センスだけでできている。

ヘンリー・マンシーニ作曲の、ユーモラスで印象的なテーマ音楽、可愛くって、少しどじなアニメのピンクの豹。ご存知の方も多いだろう。改めて、見てみると、その道具だてのゴージャスで、おしゃれなこと。宝石のきらきらをただただぼうっと眺めるのと同じように、何も考えず、気楽に楽しむのが、この映画の正しい鑑賞法だろう。宝石という記号が、贅沢や快楽の同義語である事を見ごとに感じさせてくれる映画である。

舞台は中東を思わせるある国の王宮。国 王に恭しく差し出された、一粒のダイアモンドがあった。その大粒のペアシェイプのなかには、小さなキズ(英語でちゃんとフローと いっている)があった。動物の形のようでご ざいます、と家来がいう。王がルーペでのぞ くと、それは、豹に似ていた。しかもダイアのそのあたり、ピンク色をしているのだ。ルビ ーでも内包しているのだろうか。 王が叫んだ。『ピンクパンサーだ』と。何年かがたち、名宝[ピンクパンサー]は、美しい王女(クラウディア・カルディナーレ)のものと なった。

場所は変わって、ローマ。コロッセオの近く の邸宅に泥棒が入った。金庫をこじ開けて、 成功。宝石がとりだされる。その後には、白い手袋が置かれた。世界的に有名な宝石泥棒、快盗ファントム(デビッド・ニーブン)の犯行のあかしとして。

またまた場所がかわって、ハリウッド。一 人の青年(ロバート・ワグナー)が、仲間と卒業の記念撮影をしていた。大学の構内? いえ、それは、映画の撮影所だった。仲間達は、アルバイト、角帽とマントは映画の小道具。なぜ?

そしてまた場所が変わって、パリ。セーヌ 川のほとりで、黒いサングラスの女(キャプ シーヌ)が、男と取引していた。何かを手渡 したとたん、警官が。逃げるおんな。近くの 建物に逃げ込む。エレベーターの中で着替え、毛皮のコートを着た優雅な奥様風に。女は 夫のオフィスをたずねる。夫はクルーゾー警 部(ピーター・セラーズ)だった! 建物はパリ警視庁だったのだ。クルーゾーは快盗ファン トムを捕まえる作戦をたてているところだった。

コルチナ・ダンペッツオ――このイタリアの高級スキーリゾートに、一同が会することになる。革命軍から逃れてきた王女、王女の ダイアモンドをねらう怪盗、その怪盗を捕ま えようとするクルーゾーと、なぞめいたその妻、そして、青年。

王女のパーティーの夜、スリ リングであでやかなドタバタ劇が始まる。ファントムは実は、英国紳士リットン卿で、ダンディな魅力で 王女に近づこうとする。クル ーゾーの美しい妻は実は、リ ットン卿の愛人で、夫の手から、彼を逃がし、宝石を奪う手助けもする。そこにやってきた青年ジョージはリット ン卿の甥で、まじめに大学を出たと思わせているが、本当 はずっと昔に退学し、借金をしてまで遊んでいる、さすが怪盗の血をひいたお洒落な悪である。偽の卒業写真は、スポンサーのおじにみせるためだったのだ。

すれ違いに嘘に誘惑、そして危険なロマンス、宝石への渇望。小道具はシャンパンに、 優美なドレス、敷物の虎の毛皮に、花や可愛いペット、そ してドロップ型の真珠のイヤ リングなど、きらびやかな宝石の数々。ついでに言えば、王女のペットの犬はアンバー(琥珀)という。

快楽でいっぱい。 この世の極楽のような、リゾートの夜。 ホテルのバーでは、歌手がこんな歌をうたっている。『今夜でなくてはだめ。明日のことなどわからない』 この刹那主義こそ、この映画を魅力的にしているテーマだろう。日々の暮らしを計画的に送ろうとする普通の人々とは、対極にある。快楽原則。堅実な人生は時として、虚しい。快楽に貫かれた人生はなかなか送れるものではないが、だからこそ夢なのである。

そうおもってみれば、この映画のエンディングで、一番、ひどい目にあうのは、登場人物の中で、唯一まじめに仕事をまっとうして いるクルーゾー警部なのだ。遊び好きの悪たちは、無事に難局を切り抜けている(ね たばれのようで申し訳ないが)。

クルーゾーは実に職務に忠実だ。妻とリラ ックスしようという真夜中。ファントムが現れたという偽情報を信じて(それは、彼の妻に 言い寄ろうとしたジョージの電話だった)、文句もいわずに、現地へ向かう。その仕事への姿勢には、素直に頭が下がってしまう。あれほど生真面目で、ついにはファントムの正体を突き止める優秀な警察官だ。

そして、妻を 心から愛し、彼女が、豪華な毛皮を着ていても、 やりくり上手だと感心するだけだ。この映画で は、まっとうすぎる彼こそが変人で、その行動 の一つ一つがおかしくみえる。ピーター・セラ ーズの演技力があればこそ、こんなにまじめ で、しかも面白い人物を表現できたのだろう。

ここまで、書いてきて、ふっと思った。この 映画は本当に、ただ贅沢なドタバタを愉しむだけの、お気楽エンターテインメントだろうか。 そうであれば、これほど何度も見かえせな いはずだ。クルーゾーからみれば、地道に職務を全うしたのに、最悪のひどい目にあうという結末。しかも10年も愛し続けた妻は、 彼を置いて、彼が追い続けた怪盗やその甥と逃げてしまった。無邪気なだけと思われた 若い王女は、ダイアモンドを革命軍に取られないため、策略をはりめぐらす。この世の不条理――だろうか。

しかし、曲者監督ブレーク・ エドワーズはそれでは終わらない(彼は『テ ィファニーで朝食を』の監督でもある)。無実の罪に陥れられた クルーゾーは、なんと国民の英雄になってしまうのだ。パトカ ーで連行されるとき、 彼を捕縛する警官 から花束を捧げられたクルーゾーの、な んとも複雑な表情が、忘れられない。 クールビューティ、キャプシーヌのコメ ディエンヌぶりも、一 見の価値がある。

岩田裕子