18 ルパン

シネマの宝石学
―洗練された大人のおとぎ話18

Arsène Lupin – Trailer(動画)

誘惑的な宝石たち

優雅な人々

宝石泥棒―この響きには、心をくすぐられる。もちろん現実に現われたら恐ろしいけれど、映画のなかの宝石泥棒は、痛快で、おしゃれで抵抗できない魅力にあふれている。

この連載で今まで、取り上げた宝石泥棒を振り返ってみてもそうだ。「ピンクパンサー」の怪盗デビッド・ニーブンは遊び上手な英国紳士、「泥棒成金」のケーリー・グランドはアメリカ生まれのナイスガイ、「大盗賊」のジャン・ポール・ベルモンドは、自由奔放で女好きで、最高にセクシーだ。女賊のほうも、美輪明宏と京マチコが扮したミステリアスな女賊「黒蜥蜴」。ディートリッヒの貴婦人怪盗が活躍する「真珠の首飾り」・・・と、誰をとっても優雅で人をひきつけて離さない魅力にあふれている。超一流のジュエリーが放つ、強力なオーラをいつも浴びているから・・・かもしれない。

探偵のほうが、シャーロック・ホームズにしても、ポワロにしても、明智小五郎にしても、女性にはストイックなのにくらべ、怪盗のほうは、欲望に限りなく忠実。危険な快楽に突き進んでいく。善悪を超越したその自由奔放さで、わたしたちを、いっとき日常のルールから解き放してくれるのだ。

怪盗ルパン

今回とりあげた、稀代の宝石泥棒。古今東西の怪盗のうちで、もっとも有名な大泥棒だ。黒いマントにシルクハット、細いステッキを手にしたルパンは、誰よりも優雅でかっこいい。

2005年に公開されたばかりのフランス映画「ルパン」は、フランス人作家モーリス・ルブラン原作の「怪盗ルパン・シリーズ」を忠実に映画化している。この映画の中の宝石ほど、なまめかしい輝きをめったにみない。まさに宝石が主役といってもいい映画なのだ。

タイトルバックからしてそうだ。はじめは、光のきらめきだけが映される。きらきらと、光の炎がゆらめき、それがやがて形を見せ始め、極上のダイアモンドとプラチナが姿を現わし、やがて、ベルエポックを代表するガーランドスタイルのジュエリーだと判明するのだ。

その煌きは、まるで、愛する男をこちらにむかせようと、いちばん綺麗な笑顔を振りまく、女の子たちのウインクみたい。それもただの女の子ではなく、実は、気品にあふれた姫君だった、とでもいうような出だしなのだ。この映画の中の宝石たちは、最後まで、この生き生きとした魅力をふりまいている。

時代はベルエポック

物語は、アルセーヌ・ルパンの幼少期から始まった。時代は1882年、フランスが第三共和制だったころ。舞台は、ノルマンディー地方にあるドルー=ス-ビーズ公爵邸である。公爵夫人は、ガーランドスタイルの白いジュエリーを身につけ、公爵夫人の妹アンリエットは、青いルピナスの花を摘んでいた。ルパンという名は、このルピナスの花にちなんでいる。アンリエットは、素性の知れないボクシング教師テオフラスト・ルパンと結婚し、一人息子のアルセーヌをもうけている。そのことで、肩身の狭い思いをしていた。

公爵邸には、王家から伝わるみごとな財宝がざくざくとあった。中でもいちばんの家宝は、豪奢きわまるダイアモンドの首飾りだ。マリー・アントワネットの持ち物だったとされるいわくつきの宝石。王妃を断頭台へ送ったともいわれるダイアモンド。その値段は、当時の価格で160万リーブル。日本円に換算すると、192億円! といわれるとんでもないしろもの。王妃が実在した18世紀当時、国家予算の0.3%に相当したという。実際は、この首飾りは、ばらばらにして売られ、現存していないのだが、映画のなかでは・・・。

「マリー・アントワネットは曽祖父を愛して、死ぬ前に首飾りをくれたのよ」公爵家の一人娘、アルセーヌのいとこにあたるクラリスがいった。しかし、アルセーヌの父テオフラストは、あれは公爵家の祖先が、王家から盗んだものだと息子に教える。この父は実は、名うての泥棒なのだ。「金持ちと詐欺師をねらえ、盗みは遊びじゃない。血の滾(たぎ)る情熱だ。監獄には入るな。若いうちからなれておけ。いいか、相手の気をそらすのだ」これが父の教えだった。伝統芸能の家系のように、アルセーヌは怪盗としての英才教育を受けた。

まだ6歳の彼は、その小さな体を駆使して、まんまと王妃の首飾りを盗み出し、父に渡す。恐るべき初陣! この事件がきっかけで、一家は、公爵家から追い出され、父は殺された。惨殺死体の父の指には、紋章の彫られたラピスラズリの大きい指輪はめられていた。

それから十数年のときがたち、ある船でニュー・イヤーズ・イブのパーティーが開かれていた。そこに現われたのは、燕尾服とシルクハットのおしゃれな青年ラウル・ダンドレジー。その指には、ラピスラズリの指輪があった。ラウルとは、20歳になったルパンの別名なのだ。

船上は彼にとって、取り放題の宝の山。上流階級の夫人たちの首や腕につけられた白くてゴージャスな宝石たち。ルパンの目から見ると、宝石たちが「わたしを奪って」とささやいて見える。蠱惑(こわく)に満ちた極上のジュエリーたち―チョーカー、ソトワール(ペンダントをさげたネックレス)ドロップタイプのイヤリングや指輪。ダイアモンドに真珠、プラチナ、あまりの輝きに目がくらみそう。

パーティーのクライマックスは、ゲストそれぞれが手にする花火だった。線香花火とも、空に上がる花火とも違う。星のような光を放つ、まさに煌く白さに惑溺したベルエポックらしい花火。花火の喧騒に乗じて、ルパンのテクニックが冴えた。目にしただけで、次の瞬間、獲物はルパンの手に渡っている。この10数年間にそのテクニックは、それこそ芸術の域に達していた。

たとえば、女性の胸に白い3連の真珠の首飾りを見つけたルパンは、ウェイターが運んできたシャンパンを右手でとって彼女に勧める。相手がそのグラスを手に取るより先に、左手が・・・もう盗み取っていた。相手は盗られたことにさえ気づかない。その首には、もう首飾りはないというのに、にこやかにシャンパンのお礼をいう。これほどあざやかな手口はない。なんて、優雅な盗み方だろう。

そのわりに、逃げようとして階段でつまずき、盗った宝石を投げ出してしまう。どじもいいとこだ。船のうえで、腿を高く上げながら、理想的な疾走をみせるルパンの楽しいこと。逃げ切れないと悟ったとき、海へ向かって高く飛び、理想的なダイビングを見せて、無事逃げ去った。

恋人たちと宝石と

どこか軽薄そうな青年ルパン。さっき宝石を盗んだばかりの貴婦人から助けられたりもする、人懐っこい性格は、さすがルパン三世のおじい様? 大事なところでこけたりもする、この二枚目半のかっこよさは、フランスのアクション俳優の伝統にのっとっている。

しかし、そのルパンにも悲しみがあった。母の死。病院に見舞いにいったルパンの前で、憲兵から息子を守ろうとした母は、心臓発作で亡くなってしまう。病院で看護師をしていた幼馴染のクラリスとともに、墓前にルピナスの花を捧げるアルセーヌ。オレンジの服を着て、オレンジ色のめのうのイヤリングをつけたクラリスも、もう18歳だった。ふたりは、愛し合った。

やがて物語は、クラリスの父であるスービーズ公爵をはじめとする貴族たちの陰謀へと展開する。オルレアン公を王位につけようと願う彼らは、王家の財宝を狙い、ルパンもそれを狙おうとする。宝石をちりばめた美しい十字架が、別の十字架の場所をしめし、それがそろうと、財宝のありかがわかるという、華麗な宝石ゲームが繰り広げられるのだ。

そしてここに、謎の美女カリオストロ伯爵夫人が登場する。女好きのルパンは、彼女にも深く惹かれてしまう。しかしこの夫人は、とんでもない悪女だった。

公爵邸で、贅を尽くした仮面舞踏会が開かれた。軽やかに踊る人々のうえから、光がキラキラ落ちてきて、この場に集まった宝石のきらめきを表現している。清楚な魅力のクラリスは、白いドレスに、母の形見のダイアモンドのイヤリングという白い装い。

そこに到着したカリオストロ夫人は、黒いドレスを身にまとい、まるで、白鳥の姫君に対抗する邪悪な黒鳥の美しさだ。そのジュエリーは、まがまがしいほど大粒のエメラルドや、サファイア、ダイアモンド。オニキスなど。大粒の宝石をはめ込んだ黒い扇子も美しい。催眠術まで使い、不老不死の謎も秘めた女の凶暴な美しさに、それらの宝石たちは、とてもよく似合っていた。なんて邪悪な美しさだろう。

白と黒。善と悪。若さと成熟。クラリスとカリオストロ夫人。なにもかも対照的な女たちが、ルパンをめぐって、対立している。やがて、ルパンはクラリスと結婚。かわいい息子も生まれた。怪盗としても充実した時が過ぎていく。しかし、妻子に、魔の手がのびた・・・ さまざまな事件がおき、そして時は過ぎ去っていく。

ラストシーンは、1913年のパリだった。どこかさびしげな中年紳士ルパンが、若い娘をエスコートしている。過去を問うても何もなかったといって、語らないルパンに、娘がいった。「何もなかったら、こんなに魅力的なはずないわ」 数々の喜びや悲しみ、冒険や苦難が、ルパンを強靭な男に仕立てていた。

彼は、遠くに見つけた。帽子にアールデコのエメラルドのハットピンをつけたカリオストロ夫人と、自分に面差しの似た美青年。赤ちゃんのときに誘拐された息子のジャンだ。息子が犯罪を起こすのを阻止するため、一騒ぎを起こすルパン。そのままどこかに消え去った。舗道に、ひと茎のルピナスの花だけ残して。優雅で繊細にして、軽やかな大泥棒。どこへ行ったのだろうか。彼を探す女たちの声だけがこだまする・・・

馬の疾走から始まったこの映画が、自動車の登場で幕を閉じるのも時代背景を感じさせて面白い。それにしても、貴族の女たちの首や腕から盗まれるダイアモンドや真珠たちは、アルセーヌ・ルパンという稀代の怪盗、優雅で魅力にあふれた青年の目に見つめられて、恋してしまったかのようにみえる。まるで自ら身をささげるように、ルパンの腕の中に飛び込むのである。

この映画の本当の主役は、華麗な宝石たちだと思わされるのだ。なにしろ、ルパンの宝石への惑溺は生半可ではない。ルパンは、お金は払わないけれど、その代わりに命を賭けている。何年も、真っ暗闇の牢獄につながれる危険と対峙している。彼は、よいものを見分ける目を持ち、価値のあるものには、敬愛の気持ちを隠さない。

いとしい恋人をみつめるように、数々のジュエリーを甘く、優しい視線でみつめるのだ。そこまで深く愛されたとき、宝石のほうも、その愛にこたえようとするのではないだろうか。彼にみつめられた宝石たちの、なんて魅惑的な輝きに満ちていることだろう。あれほどのあこがれの視線で渇望されたら、ルパンに愛された女たちと同じく、ジュエリーだって、ぜひわたしを奪って! と叫びたくなるのではないだろうか。

カリオストロ夫人に関しては、わたしは、イタリア映画「マレーナ」のモニカ・ベルッチに演じてもらいたかった。クリスティン・スコット・トーマスも美しいが、この魔女のような女には、エメラルドのような尋常でない美しさを望んでしまうのだ。

この映画の宝石は、すべてカルティエが提供し、魅力的な時代をかつてないほど正確に、スクリーンの中に再現している。カルティエはベルエポックを象徴するメゾン。ガーランドスタイルを作り上げたジュエラーが再現した当時の宝石世界は、あまりにきらびやかで、自分が今、21世紀に住んでいるのだということを、しばし忘れてしまうのだ。

岩田裕子

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