14 愛と哀しみの果て

シネマの宝石学
―洗練された大人のおとぎ話14

Out of Africa 1985 Trailer(動画)

アフリカの大地に輝く宝石

「あんなに甘い空気は初めて」主演のメリル・ストリープがインタビューで語った。「とても美しい土地よ。魂が開放される」 アフリカ。ケニア。そこは特別な土地。まだいったこともないくせに、わたしにはわかる気がした。胸の底にずんと響くのだ。神のすむ土地。アフリカではないけれど、私は特別の土地を知っていて、でも、そこよりもっと、何かのある土地・・・

絶版になった私の本に復刊の話があり、新しい宝石について書き足している。サボライトやタンザナイト、そしてペツォッタイト。前の二つは20世紀後半に生まれ、最後の一つは2002年12月に発見された。産地はどれもアフリカだった。それぞれケニア。タンザニア。マダガスカル。アフリカについて調べれば調べるほど、そのスケールの大きさ、自然の掟という非情な美しさ、底知れぬ深さをたたえた文化に心惹かれた。惑溺した、といってもいいかもしれない。

アフリカを舞台にした映画を見まくった。「アフリカの女王」「ヘカテ」「イングリッシュペイシャント」「シェルタリングスカイ」・・・ タンザナイトの故郷を舞台にした「キリマンジャロの雪」について書きたかった。しかし一番夢中になってしまったのは「アウト・オブ・アフリカ」(邦題「愛と哀しみの果て」)。

この映画は、ケニアを舞台にしている。メリル・ストリープ演じるヒロイン、カレン・ブリクセンは、実在の人物で、この地に14年住んだ。後年、有名作家アイザック・ディネーセンとなり、「アフリカの日々」という自伝を発表。それを映画化したのがこの作品なのだ。今、彼女の家は博物館となり、観光客を受け入れている。果てしなく広がるケニアの大地。そこにゆらゆらとのぼる朝日のシーンから、この優雅で雄大な映画は始まった。2時間40分、アフリカにひたきり、私もその地で、幾年かを過ごしたようなそんな錯覚に襲われた。

ヒロイン、カレンは、デンマークの裕福な家庭に生まれ、スウェーデンの没落貴族ブロル・ブリクセンと打算的に結婚。ブリクセン男爵夫人の称号を得た。新しい人生をはじめるには、このくらいの荒療治が必要だったのだ。1914年、故国を離れ、未知の国、当時英領だったアフリカ・ケニアに移住。夫とともにコーヒー園を経営することになる。しかし夫はいい加減な性格だった。女遊びが絶えず、金銭的にもだらしなかった。悪い病気もうつされ、やがて二人は別居する。

すべてがヨーロッパと違う国、ケニア。はじめは戸惑い、ヨーロッパの暮らしをそのままもってきたカレンだが、徐々にアフリカに溶け込み、本来の自由人たる彼女が立ち現れていく過程が興味深い。アフリカを愛し、自然を愛し、アフリカの民、とりわけ、農園に雇っているキクユ族を愛した。夫が飽きた農園を、女手ひとつで大規模にしていった。

女子供と、見下す男たちに屈せず、恐ろしいジャングルを旅し、戦争している男たちに食料を届けさえした。自分の意志をはっきり持ち、自立的に生きるカレンは今見ても颯爽としていて、かっこよく、とても20年前の映画、90年も昔のお話には思えない。自分勝手な夫にもよい部分を見出し、最後まで、友情を保ったところなど、大人の女性だと共感を感じる。

そんなカレンに心を寄せたのが、自由奔放なハンター、デニス・ハットンだった。デニスは、カレンのよき理解者でもあり、はっきり反対意見もいう気になる存在だった。デニスの好きな乗り物は、小型の黄色いセスナ。恋人となったばかりの二人が、デニスの操縦するセスナに乗り、空を飛ぶシーンは、今まで見たたくさんの映画のなかでも、ベストといってもいいほど、心地よく、美しい。

どこまでも広がるアフリカの大地。その果てしない広さに比べたら、二人のセスナは、一片の花びらほどにたよりない。雲を追い越し、風にのって、空と一体化するセスナ。ケニア山も、バッファローたちの大群も、宇宙の星の数ほどフラミンゴの飛ぶ、有名なナクル湖も、二人のセスナと一体化している。フラミンゴの白い群れを黄色いセスナがつっきり、白い群れが二つに分かれ、どちらも風のように、アフリカの空気をただよっている。

カレンとデニス。ふたりが、惹かれあったのは、必然だっただろう。豊かな感性を持つ人間は、同じ感性をもつ人間を必要とするものだ。そうでなければ、自分がなにものか、自分で把握できないからだ。しかし、別れはやってくる。女は男を束縛したくなり、男は束縛だけはされたくないと逃げ、やがて二人の運命はそれていく。いくら相手を愛していても、このままでは自分がだめになってしまいそうと思ったら、別れるという勇気もカレンにはあった。愁嘆場のようなものは一切ない。一度だけ、デニスと喧嘩するが、それは相手に対して、愛が深かったからだ。

その後、カレンのコーヒー園は、火災により経営破綻。恋人のデニスはセスナの操縦をあやまり、アフリカの大地に帰ってしまう。恋は終わり、カレンのアフリカ生活も終焉を告げた。デニスの眠る墓には、夕方になるとライオンたちが集い、寝転んだり、獲物を狙って立ち上がったりしているという。それを聞いたカレンは、デニスに知らせなくちゃ、ふと思う。彼の喜びそうな話だから。

アフリカの地に生きるカレンの、衣装の美しさも見ものである。1968年に発見されたばかりのサボライトは、それより半世紀前を舞台にしているこの映画には登場しない。かわりにカレンは、真珠のイヤリングを愛用していた。昼間、ベージュのサファリルックで、男性と伍して颯爽と活動するとき、また、ベージュのパンツスーツに同色のネクタイと帽子、ブラウンのブーツを身につけ、雌ライオンに襲われそうになったときも、スタッド式の小さな一粒パールをつけていた。

夜、デニスやその友達を招いて食事をする彼女は、昼間の勇敢なカレンとはちがい、エレガントそのものである。細くて長い真珠のネックレスを胸までたらし、このときは揺れるタイプの真珠のイヤリングをつけていた。ピンク色の上質なシルクのブラウスを着て、髪に同じ色のコサージュをつけ、イヤリングを軽く揺らしながら語るカレンは本当に女らしくて、かわいい。この夜は、カレンとデニスが、初めてわかりあった夜だった。

デニスがカレンに、即興のお話を所望する。デニスが出だしを決めた。「昔、流れ者の中国人がいた。名前はチェン・ワン。シャーリーという娘を知っていた」 カレンはすぐに続けた。「彼女は宣教師の娘で、中国語を流暢に話した・・」 物語は食後の居間で、コニャックを揺らしながら続いた。やがて物語が完結しても、夜明けまで笑いに興じた。翌朝、デニスは、話を記録するよう、カレンに美しいペンを贈る。これが彼女が作家になるための第一歩となった。

しばらくして、デニスの友人、バークレイ・コールと食事するときには、琥珀のネックレスとイヤリングのセットをつけ、服もアフリカらしい柄になっていった。

困難と幸せは表裏一体。冒険的に生きたとき、それがたとえ失敗してもかけがえのない思い出となるのは、誰の人生でも同じだろう。カレンは、アフリカの広大な自然、そこに住むアフリカの民のまっすぐな生き方。野生動物たちとの、生死をかけたかかわりの中で、人間的に大きく成長し、もともと豊かだった感性をとぎすましていく。そして作家として花開くのだ。「アフリカの日々」を今、読んでいるところだが、事実でありながら、おとぎ話のような語り口でとてもきれいで心地いい。

監督のシドニー・ポラックは、この映画を、「田園詩だ」と語っている。まさにそのとおり、果てしなく広がるアフリカの大地から、雨にぬれたコーヒーの花とアマガエルまで、丹念に映されているところがこの映画の最大にして、ほかの映画には見られない決定的な魅力となっている。

この映画にサボライトは登場しないが、デニスとカレンが、空から見たケニアの森林の豊かな緑は、まさしくサボライトのくっきりと深みのある緑そのものだった。あの日、空を飛んだ二人は、巨大なサボライトの内部を浮遊する美しい一かけの不純物だったかもしれない。

岩田裕子

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