ラストエンペラー

シネマの宝石学
―洗練された大人のおとぎ話06

激動に生きた皇帝と捨て子の運命(1)

ある雑誌で、中国の翡翠について書いたこともあり、今回は中国の映画を取り上げてみた。大好きな中国映画は数多いが、どうしても取り上げずにいられないのが「ラストエンペラー」と「覇王別姫」である。

どちらを選ぼうか、とビデオで見比べていたら、面白いことに気づいた。二つの映画の主役は、ほぼ同時代(清朝の崩壊前夜から、文化大革命の終わる頃まで)を生き、どちらも時代に翻弄されながら、立場は正反対ということである。正反対どころか、一方が太陽なら、もう片方は、地を這う虫といってもよいだろう。冒頭、ともに母と引き離された幼い男の子であったふたりだが、ひとりは、大国の皇帝であり、他方は、餓死寸前の捨て子だった。

天子から、とらわれの身へ

「ラストエンペラー」の主役は、言わずと知れた、清国最後の皇帝、愛新覚羅溥儀(ジョン・ローン)である。前皇帝の甥にあたり、かの西太后に呼ばれて、母から離され、3歳にして、「一万年帝国の天子」へと指名される。何もわけのわからない幼すぎる溥儀が、不気味なほど年をとった西太后と対面するシーン、その後の豪壮な戴冠式のシーン―小さな皇帝と紫禁城を埋め尽くし、恭しくかしずく臣下たちの対比―は、映画史に残る名場面といえるのではないだろうか。

母と離された溥儀には、やさしい乳母がいた。しかし、10歳で、その乳母も紫禁城から追い出される。この頃の溥儀にとって、乳母は、愛するひとでもあった。連れ出される乳母を追う溥儀の姿は、あまりに哀れで胸を締めつけられる。

やがて時代は共和制の波に襲われる。清国は滅び、皇帝は象徴的存在になる。それでも紫禁城には1200名の宦官、350名の女官、850名の衛兵、185名のコックが住み、溥儀にかしずき、1週間に3000羽の鶏,月に120枚のクロテンの毛皮が消費されたという。クーデターが起こった。溥儀は紫禁城を追われてしまう。

天津でのパーティー三昧もつかの間、日本軍によって(彼の野心もあるのだが)満州国の皇帝にかつがれることになる。それは単なるお飾りだった。終戦後は、中華人民共和国に戦犯として捕らえられ、皇帝どころか最低の人間だと攻め立てられる。臣下を殺すことも自由だった権力の頂点から、トイレの仕方まで、文句をいわれる境遇に陥るのだ。10年の軟禁ののち釈放。文化大革命のさなか、庭師として、53年の生涯をとじた。

続きは「激動に生きた皇帝と捨て子の運命(2) 」をご覧ください。

岩田裕子