ダイヤモンドA to Z(下)

ダイヤモンドA to Z
やさしくて残酷な魂 [R]-[Z]

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R――詩人  芸術的なダイヤモンド広告

もしも詩人が宝石商だとしたら。どんなダイヤモンドを売るのでしょうか。これは詩人の作ったダイヤモンド広告。頭で理解しようとするのは野暮というもの。目で、耳で、体で感じて下さい。

『正午』
木製の天使、漕手が動かす、自分の翼を、ヴィナスを、彼女の駝鳥を、彼女のダイヤを、凪いだ沖から、岸の君へと、忠実な彼、泡立つ名馬に曳かせたエメラルドの4輪馬車。

(堀口大學訳)

まるで人形芝居の中のギリシャ神話といったふう。

この詩を書いたのは、誰? パブロ・ピカソやアンリ・ルソー、マリー・ローランサンなど画家と親交の深かった人。自身も洒脱なデッサンを描きます。次の作品も彼のものです。

『野ばら』
愛すべき花盗びとの サド侯爵 恋人として手に血ぬる 侯爵は雪の上に署名する そして鏡の上に ダイヤモンドで嘘をつく。

(堀口大學訳)

鏡に映ったダイヤモンドは、この世のいちばん悩ましい嘘に似ているかもしれません。どちらも永遠に手に入らない……。

この詩人は、ジャン・コクトーです。1909年、詩集「アラディンのランプ』でデビューしました。パリで生まれ、パリで育ち、パリで学んだ。空中曲芸にうき身をやつしたり、バレエを書きおろしたりしています。彼のダイヤモンドは、色とりどりに激しくきらめく。そして、パリの香り。


ふたりめの詩人はかんじんのダイヤモンドを見せてくれません。ショー・ウィンドウはからっぽ。商札しかないのです。ちょっと人を食った販売方法といえましょう。

『ダイヤモンド』
淋しいという字をじっと見ていると 2本の木が なぜ涙ぐんでいるのか よくわかる ほんとに愛しはじめたときにだけ 淋しさが訪れるのです

生まれてこの方、淋しかったことなどないという人、あなたはきっとダイヤモンドの孤独にも知らんぷりするんでしょう。そういう人にこそ、この石は無上の愛をそそいでくれます。

作者は寺山修司。亡くなって数十年がたちました。ダイヤモンドやエメラルド、華やかな宝石にひそむ冷たい涙。私が宝石のそういうところにひかれるのは、少女時代に寺山の詩や童話をたくさん読んだせいかもしれません。彼のダイヤモンドは、蠱惑(こわく)の森の湖の、青みがかった水の静けさ。底知れぬほどの透明さに、深く、深く溺れてしまいそう。ダイヤモンドの名が影も形もないものもあります。だけど気配がする。かなり実験的なダイヤモンド広告。


『失われた時』
夏の海は宝石のたそがれのように くすぶってネムの花を見ている

おごそかな夕暮れ。悠久の時間。これほど贅沢な輝きは、他の宝石には許されてはいまい。もしかすると、この海は、ダイヤモンドの内側をゆったりとたゆたっているのではないだろうか。

作者は19世紀末に生まれた、洗練の極致をいく詩人、西脇順三郎。


次の作品は、うってかわって、少し物騒なダイヤモンドです。

『ぎらりと光るダイヤのような日』
〈本当に生きた日〉は人によって たしかに違う ぎらりと光るダイヤのような日は 銃殺の朝であったり アトリエの夜であったり 果樹園のまひるであったり 未明のスクラムであったりするのだ

生と死の境にも似た、すさまじい輝き。ふいにつきつけられたナイフのきらめきほどに、見る人をおののかすダイヤモンド。

詩人は、凛とした作風の茨木のり子です。この詩のダイヤが生々しいのは、宝石を触感でリアルに感じとる、女性特有の血のせいでしょうか。


そして最後に紹介する詩は……。

『谷の昧爽に関する童話風の構想』
四方の天もいちめんの星 東銀河の連邦の ダイアモンドのトラストが かくして置いた宝石を みんないちどにあの鋼青の水に ぶちまけたとでもいったふう(原文は旧漢字)

あるリゾートの島で遭遇した星空。星ひとつひとつが力強く、凶器のようにきらめいていた。弾丸となって、私めがけて降ってくる気がした。地上がすべて星に囲まれ、私は身動きさえできなかった。この詩を読むと、あの夢のような一夜を思い出すのです。星は野性的。ワニや恐竜や、ダイヤモンドと同じくらい。

この詩の作者は宮澤賢治。宝石に縁のない20世紀初頭の日本。その北の片隅を生きた質素な一青年が、ダイヤモンド売買のしくみを知っていたことにも驚いてしまいます。賢治のダイヤモンドは、冷たくて、口に含むとシュワッとはじけそう。タイトルの「昧爽」は、夜明けをさすことば。


S――推理  シャーロック・ホームズの冒険

シャーロック・ホームズによれば、極上の宝石は「美しい玩具」なのです。さんぜんと輝く青い石を光にかざしながら、彼はこうつぶやくのです。

「なかなかの代物だ。どうだい、このキラキラ光ることは! これじゃ悪い心をおこさせるわけだね。良い宝石はすべてそうだが、悪魔の見せびらかしている餌食みたいなもんだ」

(コナン・ドイル作「青い紅玉」延原謙訳 新潮文庫)

宝石の本質のある一面が、ここに言いつくされているのではないでしょうか。宝石泥棒を扱った探偵小説は数え切れないほどあるけれど、ホームズの宝石はとびきり魅力的です。宝石がベリルやガーネットなど、ちょっと個性的なものだったり、背景に専門知識がかい間見えたりするので、絵空事でないリアリティが感じられるのです。『青い紅玉』は中でも傑作です。クリスマスの鵞鳥(ガチョウ)のお腹から見つかった、美しく青い石。持ち主はさる伯爵夫人だとわかっているのですが、なぜこんなところから見つかったのか。その足跡を追ううちに、ロンドンの楽しいクリスマス風景が浮かびあがってくるのです。

それでも「青い紅玉」なんて矛盾したタイトルです。原題は「アドヴェンチャー・オブ・ブルー・カーバンクル」。カーバンクルとは、はるか昔、ルビーやガーネットなど赤い石を総称した呼び名でした。青いルビーといえば、同じコランダムという鉱物に属するサファイアのことになります。ガーネットはない色がないといわれるほど色数の多い石ですが、不思議と青だけはほとんど見つかりません。それだけにあれば飛びぬけて高価ですから、この紅玉はガーネットではないかと推測されます。そんなことから、同じ延原謙訳の1989年版では『青いガーネット』と改題されています。

もちろん、ダイヤモンドも盗まれています。ひとつは『マザリンの宝石』という短編に登場する同名のイエロー・ダイヤモンド。英国の王冠にも飾られていた由緒ある品で、大臣が直々にホームズに探索を依頼しました。犯人は、優雅な宝石泥棒シルヴィアス伯爵。彼はこのままでは売れないとわかっているので、アムステルダムまで運び、4分割してしまおうと腹づもりしています。アムステルダムは、ダイヤモンド・カットに関してヨーロッパ随一。このへんの知識も、作者のドイルはなかなかのものではないでしょうか。

もうひとつ重要なダイヤモンドは『フランシス・カーファクス姫の失跡』に現れます。姫君のお気に入りのブローチ「古いスペイン風の銀の飾りを変り形にみがきあげたダイヤを配したもの」が、犯罪捜査の手がかりとなっています。「変り形」とは、おそらくファンシー・シェイプのこと。このブローチのデザインからして、涙型のペア・シェイプではないでしょうか。

ところで、ホームズ自身もいくつか宝石を持っているのです。簡素な暮らしぶり、と親友ワトソンに評されるホームズですが、それでも極上の石を持っているところが、ヨーロッパの探偵らしさ。もじゃもじゃ頭の金田一耕介やよれよれトレンチのコロンボ刑事ではこうはいきません。彼の宝石のひとつは、ふたの中央に大きな紫水晶を飾った金のかぎタバコ入れ。ボヘミア王の事件を解決したときにいただいたごほうびです。もうひとつは、すばらしいエメラルドのネクタイ・ピン。こちらの贈り主は、ヴィクトリア女王のようです(なんとなくわかるように書かれています)。他に、オランダ王室から贈られた、キラキラ光る指輪なども。

作者のサー・アーサー・コナン・ドイルは、1859年に、スコットランドの平凡な家庭に生まれました。本業は医者だったのですが、あまりに患者が少ないので、その暇に小説を書き始めました。生家はどちらかといえば貧しかったのですが、父方の先祖はノルマンの血をひくアイルランドの由緒ある地主。母方はフランスの名門貴族プランタジネット家の出身でした。アイルランドの名家の生まれであるオスカー・ワイルドが宝石狂だったのを考えると、アイルランド系のドイルがこのくらいの知識を持っているのも当然のことでしょう。

ワイルドはドイルより5歳年長でした。ドイルが30歳の新進作家であった頃、ジャーナリストの開いたあるパーティーで、すでに時代の寵児であったワイルドと遭遇しています。ドイルはワイルドの社交術、存在感の華やかさ、細やかな心づかいにすっかり感動してしまったようです。そのワイルドと比べれば、ドイルの宝石好きは少し見劣りがします。先ほどの「青い紅玉」について「炭素の結晶」と書いていますが、炭素の結晶なのはダイヤモンド。ガーネットはアルミニウム珪酸塩、ルビーは酸化アルミニウムなので、このブルー・カーバンクルが炭素である可能性はありません。このへんはドイルの勘ちがいでしょう。


T――女優  タイプ別装い方のモデルたち

女優とダイヤモンドは切っても切れないお友達です。その結びつきはハリウッド華やかなりし1930年代に始まりました。メイ・ウェスト、マレーネ・ディートリッヒ、バーバラ・スタンウィック、ラナ・ターナーなどの美人女優が、スクリーンの中はもちろんプライベートでもダイヤモンドで装い、世の人の目を奪い、あこがれのため息を誘ったのです。

かつては王侯貴族、時代は下っても一部のブルジョワにしか手の届かなかったダイヤモンドが、あらゆる女性の夢をかきたてる存在となったのは、女優たちがきっかけでした。女優はダイヤモンドのおかげでゆるぎないステータスを身につけ、ダイヤモンドも女優のおかげで、宝石界の人気スターの座を得たのです。女優たちはダイヤモンドの装い方、またはずし方で、それぞれ自分自身のスタイルを表現しました。それは一般女性が自分の個性を演出する上で、貴重なお手本となりました。

『ある夜の出来事』でキュートな令嬢に扮し、クラーク・ゲーブルとの恋を演じたクローデット・コルベールは、都会的で女らしく、軽快な装い方をしました。サマセット・モーム原作の名画『雨』でヒロインの娼婦を演じたジョーン・クロフォードは自分の手で高価なダイヤモンドを得た女性の、自信を見せながら、装いました。知的で自由な女のさきがけであるキャサリン・ヘプバーンは、まるで大した価値もないもののようにさりげなく、品よく身につけました。

美しすぎて神秘的なグレタ・ガルボにとっては、ダイヤモンドは束縛に等しく、プライベートでは関心を示しませんでした。やがては大スターの地位も彼女の重荷となり、隠退生活に入ります。ガルボのライバル、マレーネ・ディートリッヒは逆に、ダイヤモンドの輝きを受けて、生気をおびるタイプでした。映画の中でも宝石をつける役柄が多く、またプライベートでも数々つけこなしています。彼女のダイヤモンドは、自分で買ったもの、男性から贈られたもの関係なく、地に足をつけて生きる女性の前向きな生き方の象徴でした。

1960年代に入って―― マリリン・モンローは、そのまばゆい肉体をショー・ウィンドウにして、華やかに無邪気にダイヤモンドをきらめかせました。エリザベス・テイラーは、ダイヤモンドを自分自身の美しさへの讃美として身につけました。グレース・ケリーのダイヤモンドは、クール・ビューティと呼ばれた彼女の魅力そのままに、冷たさと情熱のきらめきを見せています。ブリジット・バルドオは、恋愛ゲームの勝利の印として、投げやりに、しかしきらびやかに装いました。ソフィア・ローレンは、ダイヤモンドの野性的な輝きを強調しました。

2000年代の女優たち、スーパーモデルやロックスターもダイヤモンドを身にまといます。彼女たちのダイヤモンドは往年の女優たちと少し意味あいがちがうかもしれません。この宝石が、質はともかく一般女性にも身近になったことで、華やかさで幻惑するよりも、そのセンスの良し悪しがとりざたされるようになったからでしょう。現代のスターたちは、宝石に凝る以上にジム通いに夢中になり、肉体そのものを整えることを第一に考えているようです。

<マリリン・モンロー>
『ダイヤモンドは女のコの最高の友達……』マリリンが甘い歌声でダイヤモンドへのあこがれを唄い上げたとき、宝石の歴史が変わったのです。「教えてくれる? ハリー・ウィンストン。ねえ、ダイヤモンドについて、どんなことでもいいから教えてよ」と一流宝飾店のオーナーを名ざししています。それは1953年に封切られたミュージカル映画『紳士は金髪がお好き』のワンシーンでした。彼女の役柄は、玉の輿やダイヤモンドをねらう踊り子という他愛のないものでしたが、図々しさを感じさせない陽気な可愛らしさが魅力的でした。

マリリン・モンローとダイヤモンドはスクリーンでよく共演しています。ビリー・ワイルダー監督の傑作『お熱いのがお好き』で売れない旅回りの歌手に扮したマリリンは、偽者の富豪トニー・カーティスに億をくだらないダイヤモンド・ブレスレットを贈られ、無邪気に喜んでいます。それまで雲の上の存在だったダイヤモンドが、きれいだけど手を伸ばせば届きそうなマリリンと結びつくことで、一般人にも親しみやすくとらえられるようになりました。女性たちは誰もがこの石へのあこがれを口にするようになり、それぞれ手の届く範囲でダイヤモンドを自分のものにするようになったのです。

マリリンにとってのダイヤモンドは、どんなものだったのでしょうか。彼女は自分を売り出すのに、かなり戦略的な女優でした。「シャネルの5番を着て寝るわ」の名言で、可愛らしい色気を人々に印象づけました。またヒップを動かす独特の歩き方も、ハイヒールの左右の高さをちがえ、自分で編み出したということです。彼女がパーティーなどでダイヤモンドを身につけるのもそうしたイメージ戦略のひとつだったのでしょう。

有名な一枚の写真があります。インド産の上質なイエロー・ダイヤモンド「ムーン・オブ・バローダ(バローダの月)」を胸につけ、くちびるを半びらきにして撮影された一枚です。ガンジス川に揺れる月影を思わせる、カナリー・イエローの24カラット。もともとはインドの名家バローダ家のものでした。しばらくの間、ハプスブルグ家のマリア・テレジアが所有していたこともあるといいます。

参考リンク

この名宝を身につけることで、マリリンは自分の庶民的な魅力を、もう一級上の上品なセクシーさまで高めることに成功しています。実をいうと「バローダの月」には伝説がありました。身につけた人は、世界的な有名人になれる。いや、それ以上にもなれる――というものです。マリリンは、その伝説を実証しました。なにしろ彼女は、20世紀生まれの女神になったのですから。20世紀のアメリカを代表するスターは誰かと聞かれたら、ミッキー・マウスとマリリン・モンロー、このふたりにつきるのではないでしょうか。

モンローと宝石のかかわりを、プライベートで見れば―― 彼女が宝石にこだわり、コレクションしていたという事実はありません。それどころか、キラキラ光るダイヤモンドらしき装飾品は、ほとんどがラインストーン製だったということです。半年しか乗っていない高級車をポンと人にあげてしまうマリリンに、ダイヤモンドへの執着心はありませんでした。ダイヤモンドはマリリンにとって、友達というより、女優としての自分を演出してくれる、強力な仕事仲間のような存在だったと思われます。

彼女は3回結婚していますが、16歳のときに結婚した最初の夫、整備工のジム・ドガティが、どんな婚約指輪を贈ったか、あるいは贈らなかったか、それは記録に残っていません。3番目の夫、劇作家のアーサー・ミラーが結婚式のときマリリンにはめた指輪は、人からの借り物でした。唯一、2番目の夫、有名な野球選手だったジョー・ディマジオがマリリンに贈った指輪は、プラチナにダイヤモンドをちりばめた、雪のカケラのような指輪だったということです。その指輪は、今、どこにいったのでしょうか。

マリリンのダイヤモンドについては、こんな話があります。オークションで、マリリンのものだった、きらびやかなイヤリングが落札されました。やはりそれはラインストーン製でした。落札したのは、ハリー・ウィンストン社。マリリンがその昔「教えてくれる?」と唄った高級宝飾店です。ハリー・ウィンストン社では、この品からインスピレーションを受け、粒ぞろいのダイヤモンドでイヤリングを作り上げました。まるで滝が流れ落ちるような、ドラマティックで華麗なイヤリングです。その美しい輝きを見ていると、マリリンのはじける笑顔にも、涙の粒にも似ているように思えてくるのです。


<エリザベス・テイラー>
大病で入院し、大手術を終えて目ざめたリズの第一声は「私のダイヤモンドはどこ?」だったそうです。「大きなダイヤの粒を手で転がしているときと、恋をしているときが最高にごきげん」というリズのことばに、彼女の人生が凝縮されています。エリザベス・テイラーは、ゴージャスなミンクのコートと、何億もするダイヤモンドがよく似合う、最後の大女優です。世界に数多いるゴージャス系美女など、リズの風格を前にしたら、無個性な亜流にしか見えません。

エリザベス・テイラーにとってのダイヤモンドは、友達というより恋人以上の存在だったようです。というより命そのものだったのではないでしょうか。リズの個性は、ダイヤモンドがあってこそ完成するのです。彼女のありあまるエネルギーは、ひとりの男には受けとめ切れないものだったかもしれませんが、ダイヤモンドならびくともしませんでした。

25歳のとき結婚した映画プロデューサー、マイケル・トッドが30カラットのダイヤモンドを贈り、彼女に宝石のつけ方の手ほどきをしました。以後、リズのダイヤモンドはすべて、男性からのプレゼントか映画会社に贈らせたものでした。リズに出演を頼むプロデューサーは、多額の出演料と共に宝石代も覚悟しなければなりませんでした。男たちにとっては、美しいリズにダイヤモンドをつけさせることこそ、成功のあかしであり、彼女への讃美でもありました。5番目の夫である俳優のリチャード・バートンは、ことに金にいとめをつけず、妻にダイヤを贈り続けました。中でも有名なのは、次のふたつです。

ひとつは、100カラットの指輪「ジブラルタルの岩」で、ジャクリーヌ・オナシスも欲しがっていた逸品でした。100万ドルしたそうです。この指輪は岩のカタマリのように大きく、女性の多いパーティーの席でも、「手だけ見ればリズがわかる」といわれた代物です。英王室主催のパーティーにもつけていたので、リズには女王エリザベス2世をもじり、エリザベス3世というニックネームまでつきました。「ジブラルタルの岩」は数年後、6番目の夫ジョン・ウォーナーのために手放されます。上院議員である彼の選挙資金が必要になったからで、売り値は250万ドルだったということです。

もうひとつは、その名も「テイラー・バートン」。69.42カラットのペア・シェイプ。フローレスの輝きを持つ世界有数のダイヤモンドです。1969年、このダイヤモンドが世に出ました。落札したものの名前をつけるという条件で競売にかけられ、ニューヨークの「カルティエ」が落札。ただちに「カルティエ」と命名されました。翌日、リチャード・バートンがエリザベス・テイラーのために買い求め、ふたりの名にちなみ「テイラー・バートン」と改名されたのです。買い値は公表されていません。

その年の11月、モナコの慈善舞踏会で、リズがペンダントとして身につけ、デビューを果たしました。1978年、リズはこれを売りに出し、売上金の一部を使ってボツワナに病院を建てると発表しました。バイヤーたちは、このダイヤモンドを下見するためだけに2500ドルを支払ったといいます。翌年、このダイヤモンドは300万ドルほどで売れ、最近はサウジアラビアにあるということです。


U――魔術  宇宙エネルギー100%だから

最高のパワーを持つダイヤモンド。どこまでも透明なその体には、数々の魔力がひそんでいます。5000年の昔から、呪術師はダイヤモンドを使い、人々の願いをかなえてきたのだとか。さる有名な呪術師は、こう言い残しています。「この宇宙に存在する超自然的なエネルギー、それが一切の混じりけもなく、ひたすら純粋に凝縮したのがダイヤモンド。だからこそタリスマン(守護石)として強力なのだ」と。私たちもダイヤモンド魔術、使えるでしょうか。

初めに紹介するのは、最も魔術らしい魔術。

(美しくなりたかったら)
日本では手に入りにくい珍しい植物を使います。そうした材料を集められてこそ、魔術は始められるのです。
①誕生日など自分にとってよい日を選び、ダイヤモンドをカンタカリ(ナス科の植物ですって)の汁に浸して、その後、牛または野牛のフン(汚いなどと思わずに)を乾かした燃料でひと晩焼きます。 ②朝になったら、ダイヤを取り出し、牛の尿に浸し、さらにもう一度3時間焼きます。 これがワンクール。 ③この方法を7日7夜くり返すと、ダイヤモンドは純化したとみなされます。 ④次にそれをマメ科の植物を粥状にした中に埋め、その中にアサフェチダ(ニンジン科の植物の樹脂!)と岩塩を投じ、さらに21日火にかけて灰にします。 ⑤その灰を溶かして体に塗ると、体力とエネルギーがみなぎり、また誰もがふり返る輝くような美人に生まれ変わります。

(透明人間になって遊びたかったら)
さる美しきペルシャ王がいました。神秘の力をそなえていたという。彼が3日間身につけていたダイヤモンドは、持ち主を透明人間にしてくれます。ただし身につけている場合にかぎり。このダイヤモンドは今、どこにあるか。中近東あたりか、南米に渡ったという説も。その前にさるペルシャ王とは誰のことか。ペルシャ語を習うことから始めて下さい。ペルシャの文献を調べたら、きっと見つかるはず。魔術は一日にしてならず。遊びにも努力が不可欠です。

(病気を治したかったら)
一方の手に上質のダイヤモンドをつかみ、他方の手で十字を切ると、病気は治ります。また上質のダイヤをしっかり体に押し当て、体温であたためると、治癒力が高まります。不眠症になったら不眠の原因は、奇怪な夢や複雑な悩み、夜の妖鬼のいたずらなど。それらが脳内で暴れまわり、安らかな眠りを妨げるのです。こんなときは、ダイヤモンドを3回左の薬指でこすってから、体に直接触れるようにつけて眠りにつきます。ダイヤモンドが安眠を妨害する波動を蹴ちらし、深い眠りに誘ってくれます。中世オーストリアの貴族によれば、ダイヤモンドはブレスレットがいちばん効果的とのこと。ダイヤが表面だけに埋まっている場合は、足やお腹に石をくっつけた形で眠りにつきましょう。

(毒殺を恐れるとき)
お気に入りのダイヤモンドを毒に近づけると、じめじめ汗をかき、危険を知らせてくれます。ただし5年間毎日身につけて、仲よくなっておく必要あり。

(大切な人の罪を裁くとき)
星の見える場所で、ひと晩、月の光を浴びさせておいたダイヤモンドを相手の胸に近づけて「この人は無罪?」と聞くのです。無罪ならほのかに明るく、有罪ならぼんやり暗くなります。

(強力な敵が出現したら)
上質なダイヤモンドに勝利を念じて敵と戦ったとき、持ち主のほうが正当であれば、勝利が選べます。この魔術の場合「上質」がポイント。中世ヨーロッパの騎士たちは、貴族に上質のダイヤを借りようと近づいたり、果てはお屋敷に忍びこんだり、その家の令嬢をたぶらかしたりしたそうです。あげくに金持ちのダイヤモンドが案外大したものではないとわかったことも。多くの悲喜劇を生みました。

(人に注目されたかったら)
左腕にダイヤのブレスレットをつけると、特別の人といった輝きがそなわり、人々の目が自然に集まります。ダイヤモンドのオーラが持ち主に反映するのです。左腕のブレスレットには、病気を治し、健康を維持できるという魔力も。


次に、恋に役立つダイヤモンド。

(恋人とケンカしたら)
ピンクのお皿に水を張り、窓辺に出して、月を映します。その中にダイヤモンドを落とし、「ごめんなさい」と3回つぶやく。ダイヤを取り出した水は植物にあげましょう。3晩くり返せば、相手と仲直りできます。

(恋敵に勝つために)
恋人への思いを胸に、ダイヤモンドを身につけ、三日月の夜、1時間歩きまわります。その間、知り合いに出会わないことが大切。またひと言も口をきいてはいけません。帰宅したら、そのダイヤモンドを身につけ「彼は私のもの」と念じながら眠ると、恋敵に不幸が生じ、恋人は自分の思い通りになるといいます。

(もうひとつ、恋敵対策)
持ち主に気づかれないで、恋敵の洋服のボタンをダイヤモンドにつけ替えると、相手は打撃を受け、恋人から手をひいてくれます。

(恋人の裏切りが許せなかったら)
ダイヤモンドの粉は、人を殺す毒薬。


最後に。

(強力な守護石にする)
むずかしい手続きはいりません。自分のダイヤモンドを手に入れ、毎日身につけてさえいれば、あらゆる危険から守ってくれるのです。蛇、家事、毒、病気、強盗、洪水、雷、悪霊……おびやかされることはあっても、なんとか逃れられる。ただし、その石を本当に愛し、慈しむことが条件。ダイヤモンドは、「この人が私の大切な持ち主」と実感した場合にだけ、私たちの守護石となってくれるのです。


V――映画  スクリーンは巨大な動くショー・ウィンドウ

映画とダイヤモンドの関係――それは1930年代に始まりました。世界の高級宝飾店が、映画のスクリーンは、巨大な動くショー・ウィンドウだと気づいたのです。同時に映画もまた、ダイヤモンドにイマジネーションを刺激されると、さまざまな物語が編み出されることに気づきました。カルティエもバリー・ウィンストンもヴァン・クリーフ&アーペルも上等のダイヤを撮影所に貸し出しました。

撮影所は作りました。陽気なミュージカル、しっとりしたロマンス、華やかな冒険物語、お洒落なコメディ、気のきいた推理劇 etc。そしてカメラは照明技術を駆使して、神秘の輝きを強調しました。映画とダイヤモンドの相思相愛。それは今も変わりません。ちがうといったら、昔は単純に「ダイヤにあこがれる女心」がモチーフだったのに対し、最近は物語の構成のしかけに使われるようになったことです。

1930年代のセクシー女優メイ・ウェストが主演した『わたしは別よ』(1933)という映画では、古典的な女とダイヤモンドの関係が描かれています。ヒロインのダイヤモンド・ルーは、酒場の歌手で、その美しさとダイヤモンド・コレクションが有名でした。ダイヤはすべてたくさんいる恋人たちからのプレゼント。メイドのパールが、ルーのジュエリーをはずしながら聞くのです。「ルー、あなたは食べるのに困ったことなんかないでしょうね」「とんでもない。さんざ苦労してきたわ」

彼女は貧しい生まれで、ダイヤモンドが命の保証なのです。ルーは決してセンチメンタルになることなく、男におぼれず、クールに欲しいものを手に入れます。メロドラマ主体の1930年代には、新しい女性と映ったことでしょう。最後にはマジメな宣教師と結婚。今までのダイヤとは比べものにならない、ちっぽけなダイヤの指輪を贈られることに。普通の暮らしとひきかえに、彼女が失ったものは? ダイヤモンド・ルーは、1950年代にマリリン・モンローが演じた踊り子、「ダイヤモンドは女のコの友達」と唄ったローレライ(『紳士は金髪がお好き』のヒロイン)の前身ではないでしょうか。

グレタ・ガルボがソ連の特使に扮する『ニノチカ』(1939)は、飢餓に苦しむソ連国民に穀物を買うため、ヒロインが大公夫人から没収したダイヤのティアラを売却しようと、パリへやってきたというお話。ヒッチコック監督作品で当時の人気女優タルラー・バンクヘッドが主演した『救命艇』(1944)には、ダイヤのブレスレットを魚の餌にするシーンがあります。

また往年の美人女優リタ・ヘイワースの『ギルダ』(1946)では、奔放なヒロインが唄いながら、ダイヤモンド・ネックレスと共に大胆なストリップ・ショーをしてみせるのです。女性の目を奪ったのは『熱いトタン屋根の上の猫』(1958)のエリザベス・テイラー。夫役ポール・ニューマンの抑圧された感情を必死で支えるけなげな妻。その胸に輝くひと粒ネックレスの清楚で色っぽかったこと。これ以後、仰々しいデザインのダイヤモンドは時代遅れになってしまいました。

オードリー・ヘプバーン主演の『おしゃれ泥棒』(1966)にもシンプルな美しさの指輪が登場。ヒロインが大富豪からプレゼントされたカルティエ製で、品のよさが印象に残りました。同じオードリーのビクトリア朝もの『マイ・フェア・レディ』(1964)にもダイヤの指輪が登場します。貧しい花売り娘がレディに生まれ変わり社交界にデビューする晩、ヒギンズ教授からその指輪をプレゼントされます。その後、彼女が初めて教授に反抗するとき、指輪ははずされ、暖炉に向かって投げつけられました。このときの指輪は、男性の庇護の象徴でしょうか。

ダイヤモンド自体がタイトル・ロールとなったのは、ピーター・セラーズ主演のコメディ『ピンク・パンサー』(1963)です。クラウディア・カルディナーレ扮する王女の大きなピンク・ダイヤモンド。その名がピンク・パンサーなのです。ダンディな宝石泥棒デビット・ニーヴンとクルーゾー警部(セラーズ)の、王女とダイヤモンドとクルーゾー夫人(彼女はニーヴンの愛人でもある)をめぐる駆け引きが思い切り楽しい。

現代に近づくにつれ、女性と関係ないダイヤモンドも現れ始めます。『マラソン・マン』(1976)には、ダスティン・ホフマンが、元ナチ強制収容所上官であるローレンス・オリヴィエに向かい「欲しいだけ飲みこめ」と言いながら、ダイヤモンドをいくつも投げつけるシーンがあります。スピルバーグがアカデミー賞をとった『シンドラーのリスト』(1993)では、シンドラー役のリーアム・ニーソンがユダヤ人を助ける代金として、ひと山のダイヤモンドをザラザラッとナチ親衛隊の机の上にばらまくのです。

打って変わって、楽しいホーム・ドラマ風ミュージカル。ウッディ・アレン監督・出演の『世界中がアイ・ラヴ・ユー』(1996)では、ハリー・ウィンストンの婚約指輪が重要な役割に。ブルジョワ家庭の坊ちゃんが、婚約者ドリュー・バリモアのためにハリー・ウィンストンで指輪を買います。それをレストランで彼女のケーキにしのばせたまではよかったけれど、ひと口食べて「アレッ」。指輪は彼女のお腹の中に――。

アル・パチーノ主演のサスペンス『フェイク』(1997)では、ダイヤモンド鑑定士のふりした警官ジョニー・デップがパチーノの石を鑑定。「これはニセモノ(フェイク)だよ」と告げるのをきっかけに彼らの仲間に入りこむというストーリー。ダイヤモンドの使われ方も、手が込んできました。豪華なところでは、『タイタニック』(1997)に登場した「碧洋のハート」と呼ばれる大きなブルー・ダイヤモンド。不幸を招くので有名な「ホープ」がモデルなのだとか。石の持ち主の百万長者が実際タイタニック号に乗っていた。そんな噂からストーリーに組み込まれたのでしょう。

最後に、『ヴァンドーム広場』(1999)。世界最高峰の宝飾店が立ち並ぶパリ・ヴァンドーム広場が舞台のミステリーです。宝飾店社長夫人のカトリーヌ・ドヌーヴは、もともと有能な宝石ディーラーでしたが、心に傷を負い、今は酒びたりの毎日です。ある日、夫が自殺。彼の遺した最高級ダイヤモンドを自分で売ろうと決めたとき、生き生きとしていた昔の自分がよみがえります。そこに、彼女を傷つけたかつての恋人が現れ……。一流宝飾店の内部事情をリアルに描いています。


W――競馬  童話よりゴージャス――ダイヤモンド・ステークス

競馬場の華やぎは一種、独特です。歓声と落胆、勝者と敗者、一体感と欲望、夢と現実が錯綜している。その混沌の中に浮かびあがるのが、ダイヤモンドと同じくらい、華やかで孤独なサラブレッドたち。勝つためだけに生まれてきた純粋無垢な生き物。存在自体が美しく完結している。なにしろ彼らは死と隣り合わせで走っているのだから。ほんの少し足をくじけば一巻の終わり。誰がその運命を共有できるだろうか。私たちにできるのは、ただあこがれるだけ。

サラブレッドとダイヤモンドが、結びつく日があるのです。一年に一度だけ。真夏の一日。ロンドン郊外にある、英国王室ゆかりのアスコット競馬場にて。ダイヤモンド・デイというのです。メインレースは「ダイヤモンド・ステークス」。その他に、歴史に残るダイヤモンド・カッターや王妃の愛した有名ダイヤモンド、ダイヤモンド鉱山などの名を冠した3つのレースが開催されます(こちらは、その年により名称が変わります)。

ダイヤモンドのレースなんて童話の中のエピソードみたい。そうではなく、1972年にデビアスがスポンサーになって以来、30年近く続いている由緒あるレースなのです。走る馬はダイヤモンド製でもなければ、ダイヤモンドで作られた鐙をつけているわけでもありません。勝者には破格の賞金の他、上質のダイヤモンドがきらめく宝飾品が贈られるのです。ダイヤモンド・デイには、ロイヤル・ファミリーも臨席します。着飾った紳士淑女も観戦。アスコットは一大社交場に。映画『マイ・フェア・レディ』に見られるような、優雅な夏の一日となるのです。

参考リンク

さて、一例として、1999年7月24日をのぞいてみましょうか。この日の幕開けは「アッシャー・ダイヤモンド・レース」でした。ジョゼフ・アッシャーとはアムステルダムのダイヤモンド・カッターの大家だった人。英国の戴冠式用王冠の中央に輝くカリナン・ダイヤモンドをカットしたことで知られています。

次は女子騎手によって競われる「ウージェニー・ダイヤモンド障害レース」でした。ナポレオン3世妃ウージェニーのお気に入りだった50カラットのダイヤモンド「ウージェニー」の名をとったレースです。この石はもともとロシアのエカテリーナ女帝が恋人ポテムキンに贈ったものでした。彼の姪、その娘を経て、ナポレオン3世が買い上げ、新婚の花嫁にプレゼントしたのでした。女性に縁のあるダイヤモンドなので、女性のためのレースになっています。

そしてお待ちかねのメインレース。正式には「ジョージ6世とエリザベス女王杯ダイヤモンド・ステークス」。ジョージ6世とはエリザベス女王のご父君に当たります。王家の名を冠していることと賞金、賞品のみごとさから、国際的にステータスのあるレースなのです。それだけにヨーロッパをはじめ世界中から名騎手、名馬が参戦しています。優勝馬は来日したこともある有名ジョッキー、フランキー・デトリ騎乗のデイラミでした。

そして、この日の最終レースは「フィンシュ・ダイヤモンド・レース」。南アフリカにあるデビアス所有のフィンシュ・ダイヤモンド鉱山の名にちなんでいます。近代的な設備を持った鉱山で、年間200万カラットものダイヤモンドを生産しているといいます。

ごほうびの宝飾品はどんなものでしょうか。「ダイヤモンド・ステークス」の優勝ジョッキー、フランキー・デトリ氏には、60万ポンドの賞金の他に、ジョッキー・キャップをパヴェ・ダイヤで埋めつくしたイエロー・ゴールドのピンが贈られました。調教師には、夫人あてに、ブリリアント・カットのダイヤモンドをしきつめた花の形のダイヤモンド・イヤリング。馬主には、馬が刻印され、そこにブリリアント・カットのダイヤモンドがちりばめられたシルバープレートでした。

他のレースの勝者も、すばらしい宝飾品を贈られています。「ウージェニー・ダイヤモンド障害レース」の優勝ジョッキー、マリリン嬢には、カナリー・イエロー・ダイヤモンドをセットしたゴールドのネックレス。このダイヤモンドは、情熱的なファイアー・ローズ・カットです。

ところで、日本人でも「ダイヤモンド・ステークス」に参加した騎手がいるのです。1992年、ホワイトマズルに騎乗した武豊騎手がその人。みごとに2着の成績をあげ、「ラッキーダイヤモンド」と呼ばれる襟ピンを贈られています。2000年にも参加し「エアシャカール」に騎乗したのですが、結果は残念、5位でした。

硬度においても美しさにおいても独走している宝石――ダイヤモンドだけは、疾駆するサラブレッドの孤独を共有できるはずです。でも両者が出会えるのは1年に一度。ロンドン郊外の真夏の競馬場でのみ。


X――植物  花のイメージを刻んだフラワー・カット

ダイヤモンドにも、花の形のがあるのです。野ばらが寒波に見舞われて凍り、ピンク・ダイヤモンドになった……わけではありません。氷の女王の宮殿に咲く、ダイヤモンド製の透きとおるダリア……というわけでもないのです。その名もフラワー・カット。花のイメージを刻みこんだ、華やかな雰囲気の新しいカットです。ラウンド・ブリリアントなど従来のカットに比べ、底の近くにカット面を多く作り、上から見た輝きのインパクトをいっそう激しくしています。

ファイアー・ローズ、ジニア(百日草)、サンフラワー(ひまわり)、マリゴールド(きんせんか)、ダリアの5種類の花の形。名門ダイヤモンド・カッターの6代目に生まれた、ガブリエル・トルコウスキー氏により作られました。ラウンド・ブリリアント・カットを完成したマーセル・トルコウスキーは彼の大伯父に当たります。次なるカットの創造は、子孫の使命でもあったのでしょう。

プロ的に言えば、従来のカットに比べ、石のインクルージョン(内包物)が輝きに影響を与えることがありません。また石の歩留まりがよい(カットしたときの石のロスが少ない)のも利点です。0.15カラットから手に入るのだそうです。他の人の持っていないカットを選ぶのってスリリング。花屋さんで好きな花を買うみたいに、気軽にダイヤを探してみませんか。大富豪になった気分で、それこそ最高の贅沢です。そんなふうに選んだほうが、自分自身を素直に反映しているかもしれません。

①ファイアー・ローズ(参考リンク
炎のように情熱的なばら。そのイメージをダイヤモンドに正確に映しとったファイアー・ローズ・カット。正六角形のまわりをステップ・カットがとりかこみ、たくさんの光が内部に流れこんでいく。テーブル面の細かなファセット(切り子面)から、花びらみたいに柔らかな輝きがきらめいている。

完全な美――を表しているシェイプ。愛と美の女神アフロディテが、この花の守護神なのですから。アフロディテが海から生まれたとき、太陽が同じように美しいものを創造できるといって、ばらの花を生み出したといわれています。

ダイヤモンド・フリークの王妃、マリー・アントワネットがこの花を好きでした。華やかで愛らしい彼女によく似合う花です。15歳でオーストリア宮廷からフランスにお輿入れするとき、馬車の中は香りのよいばらの花があふれるようだったとか。彼女の時代にこのカットが発明されていたら、きっとまっさきに手に入れたのではないでしょうか。

薔薇の花びら、そとがわ光る。中へその影、うつして、眠てる。

北原白秋

社交的でセンスがよく、はめをはずすにしても優雅。天性のお姫さまタイプに似合うカット。身につければ、内に秘めた情熱があふれ出しそうなダイヤモンドです。


②マリゴールド(参考リンク
シンプルな正八角形が、同心円のように重なっている。パッチリ見ひらいた瞳にも似たマリゴールド・カット。この花の姿にとてもよく似ているのです。またマリゴールド(きんせんか)はひらべったい花ですが、このカットも高さがありません。扁平な原石から研磨されるのですが、この点もそっくり。このカットのイメージは、小粋で都会的。上品でありながら、自由奔放。ギリシャ神話のニンフのように。

ギリシャ神話に、こんな伝説があります。太陽神アポロンに恋したニンフが、彼の恋人をねたみ、その父に密告しました。父は怒って、娘を生き埋めにしてしまいます。ニンフは深く後悔し、愛するアポロンに近づくこともできません。地にすわって9日間、空を行き来するアポロンを、パッチリ目をあけて見つめるうち、少しずつこの花に変身していったといいます。花ことばは、「可憐な愛情」。

雨垂の泥にさひたり金盞花

松菊

どんな時、どんな場所でも自分らしさがいちばん大事――妖精のようにコケティッシュな女性に似合いそうなのがマリゴールド・カット。


③ダリア(参考リンク
12角形の楕円形のカット。楕円の変形ではあるけれど、オーバル・シェイプのなだらかさに比べ、ひときわ華やかなのがダリア・カット。「エレガンスと威厳」が花ことばのダリアそのままに、優美で華麗な魅力を誇っています。

ダリアの花を好きだったのは、皇帝ナポレオンの年上妻ジョゼフィーヌ。パリ西部にあるマルメゾン宮殿に広いダリア園を造り、あらゆる品種を咲かせました。満開の夏には、人々を集め、盛大な園遊会を開いたといいます。ジョゼフィーヌの妖艶さは、ダリア・カットに似合います。年齢とは関係なく、精神的に大人の女性、しかも大輪のダリアのように大胆で堂々としている女性に選んでほしいダイヤモンドです。

雀 巣かけよととまったら 赤いダリアが燃えていて あつつ、あつつと 飛んで逃げた

金子みすず

燃えるように華やかでありながら、どこかに渋さを秘めている――それがダリア・カットの似合う人。


④ジニア(参考リンク
たおやかな円形の内部に、正八角形のテーブル面を含んでいる。キューレット(石の下部)に繊細なファセットが刻まれ、可憐なジニア(百日草)のほっそりした花びらを思わせる。一見、無邪気な可愛らしさ。だけど実は凝っているカットです。

ジニアは、メキシコ原産。16世紀、この国の皇帝モンテズマの庭には、色とりどりの百日草が咲き乱れ、まるで天国のようだったとか。その陰におかかえ庭師の努力がありました。新しい品種が届くたび、耳に針を刺して流れる血をふりかけ、美しい花の咲くのを神に祈ったとか。というのも、彼のあこがれであった皇帝の姫君がジニアを心から愛していたから。きっと子鹿のような可憐な瞳を持った清純な少女だったことでしょう。

ジニア・カットが似合う女性は、男性がついかばいたくなるような、女らしさを持っている。清楚だけど、内面に激しさを秘めている。年齢にかかわらず、若々しく見える人。夏から秋にかけて永く咲き、花びらの色のあせないことから、百日草と名づけられた、この花のように。

百日草がうかう海は鳴るばかり

三橋魔女

可憐に見えて荒波にも恐れず対峙できるのがジニア・カットの似合う人です。


⑤サンフラワー(参考リンク
キリリとしたスクエア・カットが、理知的な印象。テーブル面の広さは、まさに大輪のひまわり(サンフラワー)の持つおおらかさを感じさせます。シャープなカットが、花びらのように美しい。ひまわりはペルー原産。別名として「ペルーの黄金の花」と呼ばれています。

太陽を浴びて、なんの屈託もなく咲くこの陽気な花は「光輝」という花ことばを持っている。光の花なのです。宝石に造詣の深い作家オスカー・ワイルドが、この派手な花を好きでした。ときどき胸にひまわりを刺し、ロンドンの街中を堂々と行き来したといいます。この頃のワイルドは、その才気のきらめきでヨーロッパのスター的存在でした。

向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ

前田夕暮

知的でスケールが大きい。自分の美学を持っている。そんな人に選んでほしいのがサンフラワー・カット。そんなふうになりたいとあこがれている人にも。


Y――占い  6つの形で自分がわかる

岩に埋もれているときは、煙色した冴えない小石。それが研磨をほどこされ、美しくカットされると――あひるの子が白鳥に育ったように――天使の瞳の輝きで、見る人を恍惚へと誘うのです。ダイヤモンドの変身。カットの方法は、6つのシェイプが代表的。婚約指輪にいちばん近いラウンド・ブリリアント。キュートなハート型。アーモンドを思わせるマーキース。なだらかな楕円のオーバルに涙の形のペア・シェイプ。そしてカッキリ四角いエメラルド・カット。

ニューヨークの宝石デザイナー、ソール・ペロー氏がダイヤモンドを購入した人々を観察した結果、不思議な発見をしました。6つのシェイプを選ぶ人に、それぞれ特有な性格が浮かびあがったというのです。だからこれは、占いというよりちょっとした統計学。私のまわりの人を試したら、当たっているようなのです。あなたはどのカットがいちばんお好き? 当たってる?

①オーバル・シェイプ(参考リンク
しなやかな楕円形。選ぶのは、まわりを気にせず、我が道をいく自由な精神の持ち主。社交性もあり、面倒みもよいので、いつの間にかリーダーになっています。自分の好みははっきりしているけれど、他人にそれをおしつけない、天性のオトナです。好きになるのは、たくましくてユーモアのある男性。知識が豊富で会話がはずむなら、言うことありません。

②ラウンド・ブリリアント(参考リンク
伝統的なこのカットを選ぶのは、明るく調和のとれた常識人といわれます。協調性があり、仲間を大切にするタイプ。冒険はきらいで、どちらかといえば保守的。このタイプの女性に合うのは、頼りがいのあるしっかりした男性。安定した職業についてる人。ぐいぐい引っぱってもらって、それについていきたいというほうです。

③マーキース(参考リンク
つんと両角のとがったマーキース。気まぐれで、遊び好きな小悪魔タイプがこれを好き。恋も仕事も結婚も、人生のひとつのゲームにすぎないと感じている。努力をしても、それを見せない人。好ききらいがはっきりして、妥協ができません。好きな男性は、精神的に大人で可愛がってくれる人か、逆に遊び友達的な明るい男性かどちらか。また知的でちょっと悪そうな男性に、フラフラとひかれてしまうことも。

④エメラルド・カット(参考リンク
カッキリ四角いエメラルド・カット。キャリア志向でありながら、セクシイという女性が選びます。理知的で規律を重んじ、しかも凛としているので、同性からもあこがれられるタイプ。相性のよいのは、頭がよく紳士的な人。子どもっぽく、依頼心の強い男性、夢ばかり見て実行力のない男性は見るのもイヤです。尊敬できない人とはつきあいません。

⑤ハート・シェイプ(参考リンク
小粋なハート・シェイプが好きなのは、ロマンティックで恋愛気質。芸術に関心が高く、危険な恋にあこがれがちです。好きなのは、よく気のつく都会的な男性。冷たいくらいの態度にひかれる。洗練された物腰で、こちらのいうことを聞いてくれる男性。それ以外の人とはケンカになって長続きしません。

⑥ペア・シェイプ(参考リンク
これを好きな人は、天性のスター気質。自分では普通にしているつもりでも存在自体が華やかです。喜んだり、悲しんだり、感情表現も豊か。男性はちょっと頼りないくらいの、母性本能をくすぐる人に弱いみたい。押しの強い、マッチョな男性とはぶつかってしまいがち。

6つの形のどれかに心ひかれるなら、あなたがそのタイプの可能性大。また、今はそれほどでもないけどエメラルド・カットのようになりたい、というとき。このカットのダイヤモンドを身につけていると、いつの間にかそういうタイプになっていた、ということもあります。私は今、75%マーキース、25%エメラルド・カットにひかれてる。あなたはどのシェイプを選ぶ?


Z――恋愛  愛してる? 愛してる! 愛して

①メイベル・ボール(参考リンク
ダイヤモンドは愛のあかし……でしょうか。メイベル・ボール。1920年代のアメリカにおいて、新聞紙上をにぎわした「ブロードウェイ最高の美女」です。彼女には華やかな結婚歴があり、彼女の大好きだったダイヤモンドもそのたびに数を増やしていきました。1922年、コロンビアのコーヒー王であったエルナンド・ロチャと結婚して4日目、ロチャは花嫁に百万ドル分のダイヤモンドを贈りました。当時の新聞は彼女のことを「一日25万ドルの花嫁」と書きたてたそうです。彼女はまた自分の宝石を全部つけて人前に出ることが多かったので、1920年代の「ダイヤモンドの女王」と呼ばれていました。当時、彼女が左手につけていた指輪だけで、40万ドル以上の価値があったといわれています。

1949年、メイベル・ボールはその華やかな生涯を閉じました。その遺品のひとつが、異常に細長いエメラルド・カットのダイヤモンド。持ち主にちなみ「メイベル・ボール」と名づけられたその石は、46.57カラットの大きさで、今ではあるヨーロッパの富裕な人のブレスレットになっています。112個のエメラルド・カットのダイヤモンドだけでできた、そのブレスレットの中央にでんとすえられ、厳かにきらめいています。このダイヤモンドは、彼女の受けた愛のあかしでした。


②ブルー・ダイヤモンド
1900年初頭のパリ。ロシアのプリンス、イヴァン・カニトウスキーは当時パリに数多くいた気ままな遊蕩児のひとりでした。話のわかる男だったイヴァンは仲間うちの人気者でしたが、ひょんなことから極上のブルー・ダイヤモンドを手に入れます。彼にその宝石を売ったフランス人ブローカーは、その後、発狂し、自殺してしまいました。愉快な男だったカニトウスキーも、あの石を手に入れて以来、いつしか気むずかしい人間になっていました。

ある日、恋人の女優ローレン・ラデュウがこのダイヤモンドを見つけます。当時の有名劇場フォリー・ベルジェールの新進女優だったローレンは、丸顔に大きな瞳が愛くるしく、毒牙にかかる清純な娘役をやらせたら、天下一品という評判でした。「今度、ヒロインを演じることになったの。ねえ、このダイヤモンドをつけていい?」と頼まれ、カニトウスキーがいやというわけはありません。彼はこの石をローレンにあげました。

初日、ブルー・ダイヤモンドを身につけて舞台に登場したローレンの妖艶で魅力的なこと! キラキラ光る両の瞳に観客がため息をついたちょうどそのとき。バアアーン! ラデュウ嬢がくずおれました。皆が駆けよったときには、もう息絶えていたのです。凶弾を放ったのは、客席の後方にいた恋人、カニトウスキー皇子でした。なぜ殺したのか。理由は嫉妬。ローレンに別の恋人がいると思い込んでのことでした。それが根拠のある疑いなのか。彼の妄想でしかなかったのか。事実はわからないけれど。どちらにしても、このダイヤモンドが愛のあかしであったことには変わりがないのです。


③オルロフ(参考リンク
ロシアにある将校がいました。25歳。筋骨隆々とし、きびきびした物腰の美しい男で、軍服がよく似合っていました。あるとき、5歳年上の上司の妻に恋をしかけられます。彼女は美人ではありませんでしたが、思わせぶりにじっと見つめられたり、ときにはまるで無視されたり、まったく魅力満点でした。まわりに群がっていたくちばしの黄色いガールフレンドたちのことなど、彼はすっかり忘れてしまったのです。

しかし彼女は驚くべき野心家でした。彼やその兄弟の力を借りてクーデターを起こし、自分の夫を殺させると、ロシア最高の権力の座についてしまいます。彼女は、エカテリーナ2世として即位しました。彼、グリゴーリー・オルロフは女帝のお気に入りとして政治家としても高い地位につき、それだけの働きもしてきました。10年たっても、相変わらずオルロフは彼女に夢中でした。エカテリーナのほうは、どうだったでしょうか。やがて破局が訪れます。

ふたりが愛し合って10年目、エカテリーナはトルコとの政治交渉にあたり、グリゴーリーを全権大使として派遣しました。このつかの間の別れが、ふたりを引き離したのです。彼の政敵が暗躍し、グリゴーリーは浮気してるとの噂がふりまかれます。破局の訪れは、たいていこんな針の穴ほどの小さな傷から始まるのです。女帝は怒り、恋人を見限ってしまいました。そして彼にとっては運の悪いことに、彼女の前には、たくましく頭もよい新しい恋人が現れました。

グリゴーリーは驚きました。エカテリーナの心を取り戻そうとしますが、一度離れた気持ちはもうどうにもできません。そして思いついたのが、ダイヤモンド好きな彼女のために最高の品をプレゼントすることでした。エカテリーナには以前から執心しているダイヤモンドがありました。エカテリーナはこの宝石を持っているアルメニア人の商人と交渉したのですが、あまりにふっかけられて断念しています。オルロフは、あきれるほど高価なこの宝石をかつての恋人のために買い上げたのです。エカテリーナ2世は大喜びでした。謝礼としてペテルブルグにある大理石の宮殿をプレゼントさえしました。しかし失われた愛は二度と戻らなかったのです。

オルロフは、その後、いとこと結婚しましたが、彼女を忘れられませんでした。妻が死んだ後、精神錯乱におちいり、翌年死んだということです。その後「オルロフ」と呼ばれるようになったダイヤモンドは、ロシア皇室用の王笏の先端にセットされ、今もクレムリン宮殿内に展示されています。このダイヤモンドは、オルロフという男の一生の愛のあかしでした。だけどそれがどうしたというのでしょう。持ち主が死んでも、誰かを愛して苦しんでも、または幸せに有頂天になったとしても、ダイヤモンドには関係ないのです。彼らはただ、今日も罪もなく、きらめいているだけ。


本ページには岩田裕子著『ダイヤモンドA to Z やさしくて残酷な魂』の文章(R~Z)を掲載。