27 細雪

シネマの宝石学
―洗練された大人のおとぎ話27

関西の優雅な宝石物語

四姉妹の幸せ

四人姉妹という設定には、なぜか子どものころから興味を惹かれた。四人もいれば個性がきわだつ。団体生活みたいで面白そうだった。小学生のころは、「若草物語」に夢中になり、日本の四人姉妹、「細雪」に興味をもったのは、中学生だったか。その頃、午後や深夜のテレビに古い映画がよく登場しており、それを見たのがきっかけだったかもしれない。

谷崎潤一郎の原作は、今手許にある中央公論社版で881ページと、わたしの小指の長さくらいぶ厚く、読みきるのにかなり時間がかかったのをおぼえている。

時代は第二次世界大戦前夜の昭和11年からそのまっただなかである昭和16年まで。舞台は、関西。兵庫県芦屋の蒔岡(まきおか)家とその四姉妹の運命を描いたお話しだ。蒔岡家は船場で指折りの旧家だったが、先代の最後から傾き、今は、没落してしまっている。長女鶴子、次女幸子は養子である夫と平和に暮らしているなか、三女雪子の婚活、四女妙子の恋愛沙汰を中心に、当時の風俗や美しい四季の風景を絡めながら描かれている。

ヒロインは華やかな美貌の次女幸子。谷崎の妻、松子夫人をモデルとしている。長女鶴子はどちらかというと旧来の普通で地味な、波風たたないことを志向する奥様、三女雪子は一番きれいといわれているが、おとなしく、まわりは彼女の縁談をきめるためにやきもきすることになる。そのわりに意外と芯は一番しっかりしているのだ。末っ子の妙子は早くから駆け落ち騒ぎをおこし、その後も数多くの恋愛遍歴を起こす。四姉妹で唯一、仕事を持ち、人形つくりや洋裁などで収入を得ようとする、当時のモダンガールである。

この原作は、いままでに三度映画化されている。表組みにすると古い順から次のようになる。

A『細雪』(1950年、新東宝)監督:阿部豊 出演:花井蘭子、轟夕起子、山根寿子、高峰秀子(姉妹順)、伊志井寛、河津清三郎、田中春男、田崎潤、浦辺粂子ほか

B『細雪』(1959年、大映)監督:島耕二 出演:轟夕起子、京マチ子、山本富士子、叶順子(姉妹順)、川崎敬三、根上淳、菅原謙二、船越英二、山茶花究、浦辺粂子ほか

C『細雪』(1983年、東宝)監督:市川崑 出演:岸惠子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子(姉妹順)、伊丹十三、石坂浩二、岸部一徳、桂小米朝ほか

物語が長いので、Aは、上下2巻。Bのビデオはかつて存在したようだが、今回は見つからなかった。CのDVDは、上映時間2時間23分ある。今回はAとCを入手し、何回か繰り返してみてみた。

83年版 雪子の青春

市川崑監督の83年版は、映像美が特徴だ。タイトルバックの満開の桜に目をみはる。キャストをみていただいてわかるように、当代の美女たちが、絢爛豪華な衣装をまとって現れる。着物は反物から、姉妹のイメージに合わせて染められているので、1億5千万円の費用がかかったという。Aは、1950年という戦後すぐに作られているので、もちろんモノクロだし、雪子の婚礼衣装を広げるシーンも、まったく地味である。83年版では、このシーンの艶やかさこそ、最大の見所のひとつでもあるのだけど。

原作が長いのだから、どこに焦点を当てるかでまったく変わってくるのだが、50年のほうは、高峰秀子演じるこいさん(末のお嬢さんこと)に焦点があたり、83年は、吉永小百合ふんする雪子が中心になっている。原作を読めば、当時だったら、驚きあきれるような妙子の行動のほうが詳しく記述されているのだが。

市川監督にしてみたら、83年当時には、自立を目差し、苦労する女性も、恋愛に自由奔放な女性もまったくめずらしくもなんともない。逆に、自分からは動かず、すべてを回りに任せ、美しく控えめな深窓の令嬢こそ、謎めいて興味を惹かれたのではないだろうか。50年版では、おとなしいだけで、まったく魅力の感じられない雪子が、こんなに複雑な輝きをもっていることを、83年版は教えてくれた。

確かに、この映画の吉永小百合は恐ろしく魅力的だ。この女優の映画を結構たくさんみているのだけど、こんなにデモーニッシュな吉永小百合を他でみたことがない。どの映画でも美しいが、あまりに優等生的でわたしは興味をひかれたことがなかった。市川崑の「細雪」は、おとなしい雪子の表面には見えない魅力、優等生である小百合の隠された色っぽさ。それを描くために作られたのだと思う。

そのためには、ストーリーさえ、大幅に変えてしまっている。おとなしくはずかしがりやの雪子が、意外と男の人に足をみられることを、なんとも思わない。かすかな目線で、幸子の夫、貞之助(石坂浩二)を誘惑する。貞之助は、義妹の結婚を嘆き、ひとり酒を飲むという、原作を知っているものにしてみたら、驚愕のシーンが展開するのだ。いつも受身でいるようで、数々の縁談がどんどんだめになり、物語の最後にやっと華族様の孫である理想的な夫を見つけるのだが、市川崑は、ここに雪子のしたたかさを見ている。

ラストシーンで、ふたりの姉たち、鶴子と幸子が、「あの人ねばらはったなあ」と言い合う、そのことばに集約されている。父が亡くなる前に作られた華麗な衣装。それにくらべ、父の存命中にまだ小さかった妙子は、着物もなく、ほっぽらかされている。周囲が雪子の縁談、雪子の心情であたふたしているというのに、妙子のことは誰も気にしない。83年版の妙子はあまりにかわいそうだ。

自分のせりふとして言わされているように、「みんなが雪子ちゃんばかり大事にするから、自分はめちゃくちゃなことをしてしまった」ということになる。これでは、本当に貧乏くじで、豪華な衣装や調度とともに、子爵に嫁ぐ雪子の燦然と輝く未来にくらべ、妙子は蒔岡家のみそっかすとして、当時は地位が低かったらしいバーテンダーの三好と結婚する。新居は、隙間風のはいってきそうな、ぼろアパートだった。彼女の荷物はなにもない。

83年版では、雪子の描き方は最高に面白かったが、それに比べ、妙子の描き方はみもふたもない。妙子の人生感を変えた、13年の神戸の大洪水が、まったく無視されているからだ。妙子の長年の恋人である、奥畑の啓ぼん(桂小米朝・当時)はごろつきみたいだし、啓ぼんの元奉公人だった恋人、板倉(岸部一徳)に関しては、一体どこがよくて好きになったんだか、まったくわからない。妙子を演じた古手川祐子は、小百合と14歳も違い、他の二人が岸惠子と佐久間良子とくれば、キャリアも年齢もあきらかに違いすぎる。他の映画では、いるかいないかわからないくらいの鶴子が最初から最後まででているのは、岸惠子という大女優が演じているからだろう。市川崑の細雪は、谷崎のではなく、あくまでも市川崑の細雪なのだろう。

50年版 妙子の青春

ビジュアルの魅力は83年のほうがくらべものにならないほど高いが、脚本は83年より50年のほうが高いとわたしは思う。何度見てもみあきず、発見があったし、原作のイメージもこわされなかった。こちらは妙子(高峰秀子)に焦点が当たっているので、雪子は女性としてはただただおとなしいタイプ、妙子にとっては、自分を観察し、意見もいってくれるやさしい姉ではあるけれど、女性として、とくに輝きを感じることはない。(こちらが原作どおりなので、この雪子をあれだけ華麗にふくらませた市川版にはまったく驚くのだ)

妙子は早くから自立している。人形をつくって自分で売り、人形教室で生徒をちゃんと指導する当時はめずらしかった職業婦人なのだ。アーティストとして、人形を作る一方、販売も上手にできるという、なかなか両立しない才能を彼女は持っている。そのほか、日本舞踊もたしなみ、発表会では艶やかな姿で踊り、洋裁も習っている。

83年版の古手川は24歳、50年版の高峰は26歳で同じ役を演じているのだが、2つ違いとは思えないほど、高峰はしっかりしている。彼女には、長年の恋人、奥畑の啓ぼんがいた。彼とは20歳のときに駆け落ち騒ぎを起こしてしまったが、その後、仕事を始めた妙子にとって、三男とはいえ、とくに仕事もせずに遊んでいる啓ぼんはなんか頼りない。実は奥畑商会は、宝石商なのだ。妙子にぞっこんの啓ぼんは、ときどき店の指輪やブローチをもちだしては、彼女にあげている。あきがきてしまった恋人だが、それなりの情があるし、同じ世界の住人だし、それになにより、彼は妙子のスポンサーでもあるのだ。ダイアモンドや真珠の指輪、ネックレス、色とりどりのカラーストーン、ジュエリーのほか、上等のコートやアフタヌーンドレスをオーダーでつくってくれたり、ときどきお洒落なバッグをプレゼントしてくれたりする。自身、お洒落に気を使い、趣味人でもある啓ぼんは、プレゼントをセレクトするセンスもかなりいい。気安さから好き勝手をいいながら、ときどき啓ぼんに甘えて見せるのは、そんな事情があるからだ。

しかし、妙子の人生が大きく転換する日が来た。歴史に残る大惨事、神戸の大洪水にあってしまったのだ。もう命も危ないというそのとき、妙子を助けに来てくれたのは、アメリカ帰りのカメラマン、板倉だ。自分の命も顧みず、勇敢に水のなかを泳ぎきり、妙子を安全なところまで送り届けてくれた板倉に、彼女は感謝だか、恋心だかわからない感情を抱く。

その後、彼女はことあるごとにつぶやくのだ。私の気持ちがわからないという人は、今死ぬかもしれないというそういう経験をしたことがないからだ、と。これはわたしも経験がある。災害、事故、戦争、病気にかかわらず、死を前にした経験をしたとき、その人が180度変わってしまうことはあると思う。人生観が変わる。それまで上手に隠してきた、本当の自分があらわになる。もう何も知らなかった頃には戻れない。

板倉は、アメリカにいくまえ、奥畑商会のでっち(奉公人)だった。なんらかの事情があったようで、啓ぼんには逆らえない。啓ぼんのほうも、今は洋行帰りのカメラマンとはいえ、元奉公人という気安さから板倉を下にみている。板倉と妙子は恋人になるのだが、板倉は啓ぼんにはっきりと宣言できない。男らしい男なら対決すれば、と思うのだが、これがわたしの知らない当時の空気だったのだろう。妙子もまた、趣味のよい指輪やブローチに惹かれて、完全に啓ぼんを切ることができない。気持ちは自立したキャリアウーマンではあっても、それだけの収入がなかったからだろう。それに妙子はやっぱりいい家のこいさんで、贅沢なものが大好きなのだ。宝石箱にはいった数々のジュエリーを見るとき、いつもは気の強そうな妙子の顔がやわらかく、ほほえんでみえる。

最後のダイアモンド

やがて板倉は耳の病気で突然死んでしまう。自分を見失った妙子は、誠実な青年バーテンダーの三好を誘惑し、やがて妊娠する。その間に啓ぼんのばあやが、うちのぼっちゃんと結婚していただけませんか。と蒔岡家を尋ね、姉たちもそれを勧めたのだが、妙子は三好と暮らすことを決意した。貞之助は、啓ぼんにお金を返し、妙子も彼に買ってもらったものを返したから、妙子の荷物は本当に少ししかない。

83年版では、まるでごろつきのように描かれた奥畑の啓ぼんだが、この経緯をみれば、彼も妙子にだまされ、かわいそうな面があると思う。働き者の妙子は同じように、活力のある板倉に惹かれたのだが、妙子の出方しだいでは、遊び人の啓ぼんもここまでひどくならずにすんだかもしれないとも思う。

しかし妙子の将来はどうなるのだろうか。板倉と将来を誓い合うとき、板倉は「こいさんを幸せにするため、一生懸命仕事します」といい、妙子もまた「私も一生懸命仕事します」と答えた。三好もきっと同じタイプだろう。それは苦難の道であり、話題といえば、お花見や歌舞伎見物という姉たちの家庭とはまったくちがうものになっただろう。妙子は、苦難の道を選んでしまったが、それを克服していけるだけの才覚もエナジーも持っている。

妙子の宝石箱で燦然と輝いていた、真珠やダイアモンドや数々の色石は、すべて奥畑に返してしまった。妙子は今、無一物だ。自立を選んだとはいえ、もともとお嬢さん育ちで、贅沢好きな妙子は、それでもやっていけるのだろうか。

ところで50年版では、ラストシーン。妙子のもとに最後にひとつの宝石が贈られてきた。これは原作にはなかったと思う。長女鶴子が送ってくれた、母の形見の指輪だった。それは大粒のみごとなダイアモンド。この指輪が途中で売られずに、いつか晴れやかに成功した日、すっかり貫禄のついた妙子の指を飾っていたら、どんなにかうれしいかと思う。

岩田裕子

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著者よりひとこと

「細雪1959年版」に関しては、洪水のシーンがもう少しちゃんと描かれていたような気がするのですが、詳しく覚えていないのが残念です。わたしのなかでは、幸子の夫、貞之助と、啓ぼんは、59年版の山茶花究と川崎敬三が一番原作のイメージでした。妙子役は、もともとは若尾文子に決まっていたのが、彼女の病気で叶順子の抜擢になったとか。叶はこの役で主役級の女優になったそうです。私としては、大好きな若尾文子の妙子をぜひ見てみたかったです。きっとわたしのなかのベストワンの「細雪」になったはず。