12 風と共に去りぬ

シネマの宝石学
―洗練された大人のおとぎ話12

宝石は美しい武器

昔、見た映画。取り立てて、思い出すこともないのだけど、それは血肉に溶け込んでしまっているからで、無意識にいつも反芻している。生き方にまで、染みとおってしまっている。岐路にたつとき、ふっと思い浮かぶ。映画は数限りなく見たけれど、そんな映画はごく一握りしか存在しない。私にとって「風と共に去りぬ」はそんな映画のひとつなのだ。

わたしだけではない。アメリカのあらゆる年代の女性にインタビューした『わが青春のスカーレット』(ヘレン・テーラー著)という書籍を読んでみても、日本の大学が集めたこの映画に関するアンケートを見てみても、スカーレットの生き方に大きく影響を受けたという女性は非常に多い。

私がこの映画を始めて見たのは、スカーレットより年下であった中学生の夏休みだった。自分に正直なスカーレットに鮮烈な印象を受けたものだ。しっかり大人になった今、改めて見ても、明らかに面白い。昨日見た現在の話題作より100倍も面白い。この映画が作られたのは、なんと、66年も前だというのに。

それは1939年だった。ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が、勃発した年である。まだ映画のテーマである南北戦争の生き残り兵士が生存しており、試写会に招待されたというエピソードもある。セルズニックは、小説がベストセラーになる前にすでに映画化を決め、当代一の脚本家、シドニー・ハワードに脚色を依頼した。河出書房刊で3巻にもわたるこの膨大な作品を、原作に忠実に再現するには、まさに執念ともいえる不屈の精神が必要だった。

この映画のメイキングビデオがある。それによると、スカーレットを演じる女優探しに、アメリカ中が大騒ぎになったのだという。有名女優から南部の素人娘まで、約1200人がスクリーンテストを受けたというのである。ビデオのなかでもそのテストが紹介されている。さまざまな女優が、スカーレットを演じるのを見ていると、この映画がまさに奇跡なのがよくわかる。ある女優のスカーレットは色情狂のように見え、ある女優は意地悪に見える。ビビアン・リー自身のテスト版も狂気の沙汰にみえ、こんなスカーレットだったら、感情移入など出来ないと思わせられる。何度もテストを繰り返し、そして出来上がったのが、この演じ方以外では考えられない、けなげで一途で魅力的な私たちのスカーレットなのである。

ストーリーは誰もが知っているだろう。時代は南北戦争前夜から、南軍が北軍に破れ、次第に復興の兆しを見せるまでの12年間。南部の大農園に生まれた勝気で、生命力にあふれた美少女、スカーレット・オハラが、知的で上品な青年アシュレ・ウィルクスに求婚し、失恋。その場面を無頼漢レットに見られてしまう。腹いせに、アシュレの妻メラニーの兄と結婚したヒロインは、夫の戦死後、妊婦のメラニーの面倒を見る。戦争でめちゃめちゃになった故郷の農園を維持するため、再婚。その夫の事故死後、レット・バトラーと結婚し、初めて、本当の愛を知るのだが・・・

さて、このストーリーを、宝石をテーマに、見直してみよう。冒頭、アシュレの屋敷で開かれる園遊会に着飾って出かけるスカーレットは、実に生き生きとして美しい。薄緑のドレスに、緑のリボンのついたつばの広い帽子をかぶり、耳元に揺れるダイアモンドのイヤリングをつけている。揺れるイヤリングは、男性の心を捉える、と彼女はいい、ここぞというとき、何気なく首を振り、イヤリングを揺らして、相手をどぎまぎさせるのだ。若い男たちは、恋人のすでにいるものまで、スカーレットの周りに集まった。

宝石は、スカーレットの武器で、今後の人生でも、たびたび、その力を発揮している。娘たちの昼寝の時間(園遊会は長いので、娘たちは昼寝をするのが慣習なのだ)スカーレットはベッドから抜け出し、いとしいアシュレに愛を打ちあける。このときスカーレットの大きく開いた白い胸には、かわいらしい珊瑚のネックレスが巻かれていた。ミルクオレンジのやわらかな色味。ダリアのような花の形は、この頃はやっていたビクトリアンジュエリーの特徴だ。この時代、いえ、現代だって、婚約者のいる男性に愛を打ち明け、駆け落ちを持ちかけるのは、勇気がいる。どんな気の強い女だろう、と、相手も思う。しかし、花の形のかわいいネックレスをまとった彼女は、甘く愛らしく、きまじめなアシュレでさえ、ついふらっと誘惑にのりそうになる。それでもアシュレは逃れたが、そこに居合わせたレット・バトラーが、この娘に、一目ぼれしてしまうのだ。

成り行きで気の弱い青年チャールズと結婚式をあげたときは、母譲りのウェディングドレスに3連の真珠のネックレス。彼女の内面とは反対に、清楚な若妻の雰囲気をかもし出す。その夫に死なれ、いやいや喪服姿となったその喉元には、いつも大きなブローチがあり、哀れな未亡人を演じた。あるときのブローチは、真っ黒で、あれはカルセドニー製のモーニングジュエリーだろうか。

タラに戻ったスカーレットは、亡くなった母、すっかり呆けてしまった父のかわりに、家長の役につく。タラを守るためなら、殺人も辞さない。屋敷を襲った北軍の兵士を撃ち殺すのだ。この兵士は泥棒で、盗んだ宝石を持っていた。

後に、高額な税金代を手に入れるため、カーテンで仕立てた緑のドレスを着て、獄中のレットを誘惑にでかけるとき、その耳には、大きなダイアモンドのイヤリングが揺れていた。園遊会でしていたのとは違う。あれはおそらく、北軍により、没収されていたはずだ。このダイアモンドは、殺した兵士の持っていたものではないか。原作を読むとそんな感がする。スカーレットは、借金の担保にこのイヤリングを、と提案するが、断られ、自分自身を、とまでいうが、レットの手元に金はなかった。しかし、それでもあきらめないのが、スカーレットだ。街で見かけた妹の婚約者を、ダイアモンドを揺らして誘惑し、妹は、他の男と結婚するとだまして結婚。みごとタラを救うのだった。

レット・バトラーとの3度目の結婚の際、彼女は、レットに大きな大きなダイアモンドの指輪をねだる。「アトランタで一番大きいダイアモンドを贈ろう」レットは、彼女のわがままをすべて聞き入れてくれる。今度のダイアモンドは、男性を落とすためのものではない。「私に意地悪した人をみかえしてやるの」とスカーレットは言い放つ。この頃の二人は幸せの絶頂にいた。悪趣味なほど大きなダイアモンドの指輪を含め、イヤリングからネックレスから、宝石三昧で遊びまくるスカーレット。レットは、妻を子供のように甘やかし、スカーレットは、初めて、夫にすべてをゆだね、頼りきるという幸せに酔う。

この頃、アシュレとの愛情は、上質な友情に変わっていた。しかしレットはそれに気づかない。相変わらず、嫉妬しつづけ、無神経なスカーレットは、彼の疑惑をかきたててばかりいる。あれほど人の心を見透かすレットがどうして彼女の気持ちに気づかないのかと思うが、深く愛してしまうと、見る目がくもってしまうのは、誰しも同じなのかもしれない。スカーレットのほうは鈍感で、レットの気持ちが、あまりに深い愛であることにも、自分自身が彼を必要としていることにも気づかなかった。愛は行き違い、苦しみに疲れきったレットと、気づくのが遅すぎたスカーレットは、別れることになる。16歳の園遊会の日から、つかず離れず、レットに見守られてきたスカーレットは、今、初めて、本当に一人になったのだ。

彼女は愛されるのになれすぎて、自分で幸せをふいにしてしまったのだ。悔恨は深い。平凡な男チャールズやフランクの代わりはすぐ見つかっても、レットみたいに、複雑な男-やさしくて、冷たくて、無頼漢で、上品で、計算高いのに、時には命がけで人を救う-こんな男は世界に一人しかいないのだから。「これからどうすればいいの」と聞くスカーレットに「俺には関係ない」と言い放ち、颯爽と家を出て行くレット・バトラーの、なんと優雅で、おしゃれで、かっこいいことだろう。苦しかった愛から解き放たれ、本来の自由闊達なバトラー船長に戻った瞬間だ。それに比べてスカーレットは、レットばかりでなく、すべてを失ってしまった。メラニーも愛娘も亡くなり、昔の友人たちとはすっかり疎遠になってしまった。今までも、苦労を乗り越えてきたが、今回が一番絶望的だ。

それにしても、愛し合っている二人が、なぜうまくいかなかったのだろうか。さんざん女遊びをしてきたレットも、女性とちゃんと向き合って、付き合ったという経験がなかったのではないだろうか。この点は、スカーレットも同じだろう。男のだまし方や、操縦法は知っていても、信頼しあう関係を築くという最も大切な手立てを知らなかった。世事にはうといメラニーのほうがその点では、ずっと上手で、ウイルクス家は、メラニーが死ぬ日まで、あたたかな愛に満ちていた。

涙にくれ、その場にくず折れたスカーレットを、慰めてくれる人は誰もいない。明日考えるわ。今は、考えられない。しかしタラを思い出す。どんなときも自分をやさしく迎えてくれる故郷のタラ。何もかも失ったスカーレットが、涙で汚れた顔を上げて、立ち上がる。そのたくましさとけなげさに、私たちは、どれほど勇気づけられることだろうか。スカーレットの魅力はここにあるだろう。人を利用することしか考えない。自分の利益しか考えず、そのため、周りがどんなに迷惑するかなど、気づきもしない。好意を見れば、利用する。しかし、そんな欠点をおぎなってあまりある自立心、勇気、行動力。そして、やさしさといさぎよさ。戦火の中、恋敵のメラニーが病床にあるのを見捨てなかった。一人で逃げれば、大好きな母の死に目にも会えたというのに、メラニーを守り、出産のときは、彼女の子供をひとりで取り上げた。そんなスカーレットだからこそ、現代の私たちをも魅了するのだ。

この映画が公開された1939年は、ジュディ・ガーランド主演「オズの魔法使い」、グレタ・ガルボ「ニノチカ」、ジョン・ウェインの「駅馬車」など綺羅星のごとく傑作が作られた年だった。これら強力なライバルを蹴落とし、「風と共に去りぬ」は、アカデミー賞において、ビビアン・リーの主演女優賞をはじめ9部門を勝ち取った。今となってもその優位は変わらず、古典然としてしまったこれらの映画はもちろん、その後、製作された天文学的数字の映画たちをも飛び越え、私自身が昨日みたばかりの新作映画をも軽く凌駕し、私たちの胸の奥まで、まっすぐ飛び込んできて、とりこにしてしまう。

岩田裕子

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