25 夜も昼も

シネマの宝石学
―洗練された大人のおとぎ話25

幸せの音楽、幸せのジュエリー

「ナイトアンドディ」という曲を好きになったのは、2年ほど前だったか、テレビドラマのテーマソングに使われていたからだ。軽くてしゃれたフレーズ、羽が風にふわふわ飛んでいるような曲想、明るいのに胸をしめつけられる。思い出があるわけではないのに、なぜかなつかしい。一度意識したら、耳から離れられなくなってしまった。

この曲は、1932年につくられたという。80年近く昔の曲が、今も心をつかむのはなぜだろう。このお洒落で、軽やかで、永遠のロマンティシズムを感じさせる曲を作ったのは、アメリカの国民的作曲家、コール・ポーターだった。名前は聞いたことがあるという程度だった。

その後、彼の伝記映画といえる「五線譜のラブレター」(2003年)を見ると、コール・ポーターの曲のほとんどに、聞き覚えがあった。その曲は、すべて、幸せのにおいがする。挫折を経験する前の古きよき幸せなアメリカ。彼の曲は、その象徴といえる。そのアメリカにあこがれて戦後を生きた日本にとっても、彼の曲は、胸がきゅんとするような、夕立の通り過ぎた後の、夏の夕方のような、懐かしい爽やかさを感じさせてくれる。コールがなくなって40年後に作られた映画「五線譜のラブレター」は、当然、彼の生涯を、俯瞰的に眺め、分析し、隠された秘密をも描き、真相にせまっている。たいへん評判の良い映画だ。

私が今回選んだのは、もうひとつの伝記映画「夜も昼も」である。原題は「ナイトアンドディ」。かのヒット曲をタイトルにしているのだ。伝記というより、彼の生涯を材料に作られたハリウッド製ミュージカルだ。こちらは、「五線譜~」よりさかのぼること、60年も昔(1946年)の作品。このとき、コール・ポーター本人は、存命どころか、働き盛りの52歳。第一線で活躍する世界的な人気作曲家だった。

主役のコール・ポーターは、当時最高のグッドルッキング、ケーリー・グラントがつとめている。ケーリーを選んだのは、コール自身の希望だったという話もある。そして、重要な脇役であるモンティ・ウーリー。エール大学教授から、個性的な俳優になった変り種の彼は、本人であるモンティ・ウーリー自身が演じている。また、ポーターのヒット曲のひとつ「私の心はパパのもの」をヒットさせたメアリー・マーティンを演じているのは、これもメアリー・マーティン本人だ。

コール・ポーターを描いた2つの映画についてネットで調べてみると、どちらが好き、という比べる記述の多いのが面白い。わたしは、コールの前向きで、颯爽とした雰囲気を、感じさせるケーリー・グランド版を選ぶことにした。20世紀初頭のジャズエイジ、その無邪気な快楽主義も、この映画は味あわせてくれる。現代から、あの時代を振り返り、つくられた「五線譜~」には、「夜も昼も」の映画ポスターの前をコール役のケヴィン・クラインが通りすぎるシーンがあって、楽しい。時間を経て、あの時代を検証するように作られた客観性、そのクールさに惹かれる。また、コールやその妻の苦悩はすべて描かれ、迫力がある。

一方、リアルタイムで制作された「夜も昼も」は、人物像の掘り下げに限界があるが、そのかわり、もっと生な魅力がある。時代をまるごと証言しているといってもいい。関係者がすべて現役のなかでつくられた映画なので、ポーター作のミュージカルやレビューは、現実そのままに再現されている。距離が近いだけに、熱いのだ。その意味で、まるで、タイムマシンにでも乗ったように、古きよき幸せなアメリカを体感できる映画になっている。

古きよきアメリカ

物語のオープニングは、1914年のエール大学。法学部の教授であるモンティ・ウーリーは、あまりの破天荒ぶりに、教授会で苦言を呈せられる。授業には遅刻する上、早めに帰る。好きなのは劇場通いや派手な遊びで新聞の漫画にまで描かれていた。

一方、コールは、レビュー劇場でピアノを弾いていたが、エール大学フットボール応援歌コンテストに呼び出され、みごと優勝。「ブルドッグバウバウバウ」という彼の歌をバックにエール大学のフットボールチームは快進撃を続けるのだ。クリスマス休暇。汽車に乗り、インディアナ州の実家に帰郷するコール。

同行するのは、モンティ・ウーリー。いささか年は違うが、彼はコールの友人なのだ。見送りに来てくれたなじみの歌手グレイシーに、プレゼントをさりげなくわたすなど、いかにも裕福な生まれらしい、スマートなぼっちゃんぶりがよくでている。グレイシーの頭に、大きな黒いリボンがのっかっているのがこの時代のファッションで、とてもかわいかった。

故郷、インディアナ州は、一面の雪の町だった。このころの通常の交通手段だったらしい馬車で到着すると、彼の実家である立派なお屋敷には、やさしい母と理解ある祖父が待っていた。ひさしぶりに、祖父と馬に乗るシーンが非常に美しい。祖父の茶の馬、コールの黒い馬が、雪の白にくっきりと映え、わたしは、映画「ルードウィヒ」の中のルードウィヒ2世と皇妃エリザベートによる乗馬シーンを思い出してしまった。

祖父と母は、コールの作曲家をめざしたいという無謀な思いを、受け入れてくれた。この後、ミュージカルの失敗など、数々の苦難に直面するコールだが、彼の作品がいつも甘い夢に彩られているのは、まさに家族の愛にはぐくまれた育ちのよさが、彼の本質にあるからだと思う。「法律の本を読むと、文字や旋律や詩に変わるんだ」とコールは家族に語ったが、この気持ちはわたしにもわかる。試験前、化学の元素記号を勉強していると、記号どうしが、恋をしたり、喧嘩したりして困ったものだ。

旧家の伝統的なクリスマス。その客のひとりとして、いとこナンシーの友人、リンダ・リーがやってきた。未来のコール・ポーター夫人である。実際のリンダは、コールより8歳年上、「最も美しい離婚女性」と称されたフランス社交界の花形で、彼がパリに渡ったときに知り合ったのだが、ここでは、いとこの友達のお嬢さんとして登場している。

クリスマスの女性たちのファッションが夢のように美しい。いとこナンシーのドレスは、淡いブルー。同色の手袋。胸に大きなダイアのプラチナペンダント。リンダは、それよりは少しくっきりした薄青のドレス、同じ薄青のパンタロン、髪を飾る薄青の大きなリボンと長い手袋。真珠のロングネックレスに、真珠の三粒のイヤリング。近くで遊んでいる小さな女の子も、水色のスカートをはき、そのそばの年配のレディは、ロイヤルブルーのドレス。淡いブルーで統一された画面を男性たちの黒い正装、タキシードと蝶ネクタイが引き締めていた。

メイドや執事が何人もいて、古きよきあこがれのアメリカである。大きなクリスマスツリーの下での、楽しいプレゼント交換。メリークリスマス。明るい茶系のドレスを着た母の耳にも、さりげなく一粒の真珠がつけられ、胸には小粒の真珠のロングネックレス2連をたらしていた。

成功をめざして

親から独立し、ミュージカルの道を歩みだすコールの協力者となったのは、教授のモンティだった。エール大学関係者を回って、ミュージカルへの出資を募り、結婚式場を練習に使った。お金がなく、結婚式のウェディングマーチを演奏するバイトをしたり。しかし、最初のミュージカル興行は失敗してしまう。落胆する彼を励ましたのがリンダ・リーで、ふたりは恋人どうしになる。

このとき、リンダからコールへ、初プレゼントが贈られた。カルティエ製のシガレットケースである。彼女の愛のあかしとして。リンダがコールに、カルティエであつらえたシガレットケースを、コールがミュージカル上演するごとに送った話は有名だ。この映画でもいくつかのシガレットケースが登場する。デザインがシンプルすぎて、豪奢なジュエリーをちりばめた、カルティエ製のエスプリがないのは残念だ。(この難問を、「五線譜~」のほうは、シガレットケースを映さないことで解決している)

実際のリンダ・リーは、カルティエの有名な顧客のひとりで、コールと知り合う前から、パリ社交界のスターだった。インドをテーマに作られた、カラフルなトゥッティフルッティ・シリーズのブレスレットもオーダーしている。その作品は、今もカルティエの豪華写真集に所収されているが、息を呑む美しさだ。

第一次世界大戦でヨーロッパ戦線に、中尉として戦地に赴いたコールは、足を負傷した病院で、看護師として働くリンダと再開するという設定になっているが、46年あたりのアメリカでは、一番ロマンティックな設定なのかもしれない。

お金持ちのリンダは、彼の成功のために資産を使う。落胆している彼のためにピアノを用意して、作曲をうながし、出来上がった作品を、知り合いの有名歌手のところに売り込みにいったり、彼の曲を上演するためにひそかに出資したりもするのだ。コールはそれをよしとせず、ひとりアメリカに帰って成功を期す。楽譜屋でピアノを弾いて、その楽譜を売るというアルバイトまでするが、すこし難解だった今までの曲にくらべ、だれの心にも響く「ナイトアンドディ」が、大衆の人気を博し、それがきっかけでやがて大成功する。

成功の影で

成功につぐ成功。コール・ポーターの名は、世界に知れ渡った。ロンドンから電話があった。最高のプロデューサーから、仕事の依頼である。ロンドン公演は大成功だった。劇場のご夫人たちの宝石のまばゆいこと。この公演に、リンダは、金色の輝くドレスで現れた。

♪部屋にひとりでいるときも、夜も昼も君たちのことを考えている。

ナイト&ディの歌がふたりの恋と重なる。終焉後、黒いミンクのコートをはおったリンダと、ロンドンを歩く。「あなたの奥さんになれば楽しそう」とリンダのほうから、さりげないプロポーズがあり、今度こそ、結婚することになった。このとき、二つ目のシガレットケースが贈られた。しかし、人気者となったポーターはあまりに忙しく、いつも仕事仲間に取り巻かれている。それはうれしいこと。でも、リンダの望むようなふたりだけの幸せは、のぞめなかった。疎外感を感じたリンダはやがて去っていく。

このあたりの事情もよく描かれていると感じるが、これほどしっかりしていて、聡明な彼女が、そんなことで去るだろうか、という疑問が残る。ふたりの時間がないとなげくほど、おろかな妻ではないはず。そのひとつの答えは、先にあげた「五線譜のラブレター」を見ると、事情がわかってくるが、それは後ほど。

とにかく、女性たちのファッションが、本当に夢のように美しい。リンダや、コールのいとこ、ナンシー、コールの母や親族の女性たち、劇場の観客などの、品の良いファッションと、歌手の女性たちの、庶民的で、華やかなファッションの対比。また舞台上の歌手やダンサーの、花やリボンやミンクのマフ、宝石のきらきらで飾られたカラフルな衣装。舞台衣装に、大ぶりのダイアとプラチナのネックレスが光る。

ミュージカルシーンは、理屈抜きに味わいたい。街では、水玉のブラウスと大きなリボンをつけた女性歌手が、大劇場で歌うときには、羽で作られた白いドレスをまとい、幻想的なの世界を現出している。ときには、かわいいプードルが舞台に出現したりする。ふんだんに踊られるバレエやタップが美しい。プールサイドのパーティで歌われる名曲「エニシングゴーズ」。このとき、ピンクの上着に黒いパンタロンを着たリンダは、ポーター夫人としての威厳があり、健康的なシンガーやダンサーに混じっても、ひときわ美しかった。ミュージカルナンバーがこれでもかと展開され、実に楽しい。陽気で明るいアメリカそのものだ。

やがて、ポーター夫妻のショー開幕記念パーティが開かれた。ミュージカル・映画関係の有力者があつまり、俳優となったモンティ・ウーリーも出席した。黒いビロードのドレスのリンダは、社交界の花形という輝きに満ちていた。みごとなドレス。うすい紗のようなケープをまとって。胸元のダイアの美しいこと。宴たけなわ。そのさなかにリンダは消えた。あなたの人生に私は必要ないのよ。と言い残して。彼にわたして、とシガレットケースを人に託して。シガレットケースをおいて。リンダは去った。

リンダを演じるアレクシス・スミスという女優は、現在では情報がまったくないのだが、ケーリー・グラントと並んで、名前がクレジットされているところから、当時の有名女優だったようだ。知的な四角い顔立ちからも、意志の強さが垣間見られ、実際には、8歳年上ということもあるのか、聡明な女性として描かれている。

リンダの衣装は、薄青のかわいらしいドレスから、紫のすそが3段になったドレスに手袋、ミンクの組み合わせ、金色のドレスと黒いミンク、渋いシルバーのきらびやかなドレス。大きく開いた胸に、ダイアのネックレス。このドレスは、ローウェストで、ふわっと広がり、大人のかわいらしさも感じさせる。屋外のパーティで、ピンクの上着とパンタロン・・そして別れの夜に来ていた黒のビロードのドレスまで、彼女の女としての、成長とともに、楽しめる。当然、ネックレスやイヤリングも華やかで、先にダイアモンドがついたゆれるイヤリング、大粒のダイアモンドをつけたペンダント、さまざまな真珠のジュエリーなど、21世紀の私たちが見ても、みごたえがある。

コールとリンダ・リーの不仲の理由として、彼の同性愛があるとされている。コールは、同性愛だと告白したうえで、プロポーズし、彼女はそれをうけいれたという噂があり、彼の多くの恋歌も、同性の恋人のために作られたという話もある。リンダは、彼を愛すれば愛するほど、彼の気持ちが愛情ではなく、友情に近いことがつらくなり、彼の元を離れたということだ。

しかし、リンダの存在は彼にとって大きく、彼女の死後、一切の作曲をしていない。この辺の事情は、「五線譜~」に丹念に描かれているが、その詩が自分に向けてでなく、他の男性の恋人に当てて書かれていたら、それはどれほど苦しいだろうか。

苦難と歓び

コールの人生は、リンダのいない間に次々と困難に見舞われた。仕事は、成功の一途だが、尊敬する祖父が亡くなったのだ。そして落馬による、両足の損傷。28回に及ぶ手術にも、コールはひとりで耐えた。そうした、プライベートな苦難の一方で、彼の作るミュージカルは、次々と大成功を収める。そのシーンが楽しい。

ヒット曲のひとつ、女の子の気持ちをコミカルにかわいらしく歌った、「私の心はパパのもの」は、実際にこの歌をうたったメアリー・マーティンによって歌われている。

♪ダダダダディ私の心はパパのもの。だからいっとくわ、あなたって最高だけど、私の心はパパのもの。

大ヒット曲「ビギン・ザ・ビギン」は、まさに熱帯をイメージする舞台のなかで展開された。熱帯の夜、椰子の木の揺れる、ビーチで恋を謳歌する若いふたり。幸せの匂い、幸せの音楽。このシーンのバレエは、バレエ・リュスモンテカルロのダンサーによって甘美に踊られている。病院のベッドに横たわりながら、舞台の様子を電話で聞くコール。熱帯の雰囲気を感じさせる歌と、観客の拍手が、病床のコールをなぐさめた。

映画のラストは、オープニングと対応するように、エール大学で、コールが、表彰されるシーンとなっている。壇上のコールの目に、リンダの姿が見えた。帰ってきたのだ。会場を出て、何も言わず、抱き合うふたり。上質なミンクを着たリンダの耳には、ダイアモンドがきらきらと光っていた。彼女の涙のように。このとき、リンダの肩越しにみえるコールの顔が笑っていないのはなぜだろうか。いつも明るいコールの、本当の顔を初めて見た気がして、どきっとした。ひとりで耐えてきた苦難の日々を一気に思い出したのだろうか。

岩田裕子

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著者からのひとこと

先日、バレエ・リュスのドキュメンタリー映画「生きる歓び、踊る歓び」を拝見しましたが、とても面白かったです。そこに登場するダンサーが、この映画「夜も昼も」の「ビギン・ザ・ビギン」の場面で、踊っているのです。