26 ドクトル・ジバゴ

シネマの宝石学
―洗練された大人のおとぎ話26

ロシア革命の輝き

封印してしまった映画。わたしには、いくつかそういう映画がある。あまりに心が揺さぶられ、激しい思いが暴風雨のように吹き荒れて、気がついたら、別の世界に立っている。社会に適応するため、作り上げてきた自分ではなく、本来の自分に立ち戻ってしまう。自分が変化してしまう。感動とはちがう。感動ということばは、まだ感情が、自分の統制化にあることを、示している。自分がここにいて、素敵な映画だと評価し、感動する・・そういう枠内で収まる映画だったら、安全なのだ。今の自分がどこかにいってしまいそう。そんな危険を感じると、無意識に、再び見ることを避けてしまう。この文章を読んでくださっているあなたには、そういう映画はないだろうか。わたしには、いくつかある。そんな映画は、どこもかしこも、きれいなのだ。作り手の魂がこもり、どんな細部を切りとっても、真実でできている。それを確信させられる。デモーニッシュな迫力がある。こわいけれど、そういう映画に出会うことこそ、生きている至福のひとつではないだろうか。

狂乱のロシア革命

「ドクトル・ジバゴ」もそんな映画のひとつだった。初めて見てからかなりのときがたち、今回、おそるおそるDVDを手に取った。暴動と騒乱のロシア革命。300年に及ぶロマノフ王朝が倒れ、世界最初の社会主義政権が樹立されるまでの、激動の時代が舞台になっている。たった数年の間に、生活も、価値観も、人の情も、すべてがひっくり返ってしまった時代。昨日まで自分の家だったはずなのに、今日は多数の他人と同居を余儀なくされている。散歩の途中、突然拉致されて、戦場に連れて行かれ、二度と家族にめぐり合えない。ごく普通の青年が、ひと時後には、恐ろしい革命軍の黒幕になっている。野原に集う子どもたちは、突然の一斉掃射で、皆殺しされる。現代の私たちには、想像だにできないことが、これは現実におこったことだ。

この映画は、ロシア革命という、未曾有の時代の混乱を、観客に体感させてくれるのだ。冒頭、平和的デモ行進を、騎兵隊に阻止され、惨殺される民衆。第一次世界大戦がおこり、苦しみにあえいだ庶民の不満が爆発。ロシア革命が勃発するのだ。ニコライ二世一家の銃殺。革命を推進する赤衛軍と、旧帝国軍人からなる白衛軍の戦い。そうした歴史の流れに、登場人物たちは翻弄され、必死に生きながらも、その運命を変えていく。この時代には、人間らしさがかえって邪魔になる。ロボットのように、社会主義を唱え、それを守ることが、生きる道なのだ。最近みた「実録・連合赤軍あさま山荘への道」(若松孝二監督)という映画が、まさに、そんな人間たちを描き出していた。

しかし、この映画の登場人物は、人を愛し、憎み、悲しみ、歓ぶ気持ちを忘れない。そのために、より苦しむのだけど、歓びや幸せだって、何十倍にも、膨れ上がるのだ。大切な人と、いつ永遠の別れが来るかわからない。いつなんどき、命がつきるかもわからない。そんな時代に生きる人々。死は、否応なく付き合わなければならない隣人。そんな時代には、すべての感情が濃密になっていく。この映画はロシア革命を描いているが、日本の戦時中も、こんな感じだったのかもしれない。

トーニャとユーリ

主人公は、ユーリ・ジバゴ。感受性の強い男の子、幼いユーリは、風の吹きすさぶ母の葬儀の夜、裕福な知人夫妻に引き取られる。母の形見は、ロシアの楽器、バラライカのみだった。育ての父、アレキサンドル・グロメーコ(ラルフ・リチャードソン)は、化学者であり、母アンナ(シオバン・マッケナ)とともに実の子同様に育ててくれた。夫妻には一人娘、美少女のトーニャがいた。成人したユーリ・ジバゴ(オマー・シャリフ)は、医学を学ぶかたわら詩人としても名をあげていた。留学先のパリから帰ってきたトーニャ(ジュラルディン・チャップリン)は、そんなユーリを尊敬し、二人はやがて婚約する。

上流階級に属するグロメーコ家のほど近くに、仕立屋の娘、ラーラ(ジュリー・クリスティ)が住んでいた。17歳の美しすぎる娘だが、貧しい暮らしのなか、奨学金を得るため、勉強する堅実な性格だった。未亡人であるラーラの母には、コマロフスキー(ロッド・スタイガー)という弁護士の愛人がいる。ある夜、母の替わりにコマロフスキーと夜会にでかけたラーラは、今まで、味わったことのない贅沢な雰囲気に酔いしれ、コマロフスキーに強引に迫られるのを、拒否することができない。結婚を約束した恋人がいるというのに。

彼女の恋人は、革命運動に情熱を捧げ、デモ隊を先導する、あまりに純粋すぎる青年、パーシャ(トム・コートニー)だった。パーシャの存在を知ったコマロフスキーは、腹いせもあり、ラーラにこう告げた。「男には二通りある。高潔で純粋、表向きは賞賛されているが、じつは軽蔑されている。もう一方は高潔ではないが、生きる術を心得ている」前者は、パーシャ。自分は、後者だというのだ。「女にも二通りある。清純な女と、もう一方は、不純な女だ」そして、ラーラを強姦する。今までコマロフスキーに魅了されていたラーラも、自分が見下げられていることに気づき、コマロフスキーを殺そうと出かける。

その夜は、クリスマスイブだった。コマロフスキーは、モスクワの名士が出席するクリスマスパーティに、出席していた。ここには、ジバゴと、彼の婚約者、幸せの絶頂に輝くトーニャも招かれていた。人間の身長の3倍はありそうなほど巨大なクリスマスツリー。てっぺんには星が飾られ、数え切れないほどのキャンドルに火がともされていた。贅沢と幸せのにおい。場違いさに、気後れしながらも、ラーラは、勲章をつけ、正装したコマロフスキーに向かって、発砲する。警察を呼ぶな、と被害者は叫び、当局の制服を着たパーシャがラーラを助け出した。負傷したコマロフスキーを、手当てしたのは、ユーリだった。そのユーリに、コマロフスキーは、結婚祝いに、ラーラを進呈しようと、軽口をいう。ラーラの価値はその程度だというのか。発砲されて当然だろう。彼なりの愛情があったとしても、表現が下手すぎる。

この運命の夜、パーティの開かれた屋敷には、すべての主要な登場人物が結集し、このシーン以降、二度と、集まることはなかった。映画の縦軸がロシア革命だとしたら、横軸は、ユーリとふたりの女性との恋物語だ。トーニャとラーラ。二人の環境の明暗は、その服装の色でも表されている。トーニャが、パリから帰国したとき、その装いは、ピンクとグレーだ。まるで、ローランサンの描く少女さながら、淡いピンクのコートとドレスに、同色のふわふわした毛皮の帽子、胸元のストールと、マフの色は淡いグレーで、存在自体が歓びと幸せに満ちている。そのパリ仕立てのドレスを、両親にほめられ、ひとまわりしてごらん、と目を細められる。両親に愛され、最高の教育をほどこされ、誰からも見守られているトーニャ。クリスマス・パーティのシーンでは、背中に大きなリボンのある純白のドレスをまとい、胸元や耳を飾る宝石は、小粒のダイアモンドを連ねたもの。そのほかのシーンでも、白いドレスが多く、幸せな聖女を思わせる。

一方のラーラは、たいてい、黒いコートに黒い帽子、黒いマフラー。発砲したときも、黒一色の衣装だった。唯一、ドレスといえるのは、コマロフスキーに贈られた、赤と黒の品のないドレス。トーニャと同じように、一回りしてごらん、といわれるのだが、見ているのは、女を品定めする危険な男の視線だった。唯一の家族である母は、ラーラと愛人の仲を疑い、自殺未遂する。暖かな暖炉のそばで、家族に守られている女性と、荒野にひとり無防備で立っている女性。二人の環境は、これほどまで、違っていた。革命がなかったら、交差することのない、無関係な二点だったはずだ。

しかし、時は動乱の世。運命は、幸せなトーニャにも襲いかかり、どちらもけなげに、生きていく。そして、普段なら知り合うはずもなかったふたりの女性が、物語の終盤、顔を合わせることになるのだ。何もかもが破壊された、革命後の、とある町で。

ラーラとユーリ

金髪に青い目、小柄な美しい娘。次々と男性を魅了するのに、決して幸せになれない女。それがラーラなのだ。本人は堅実でまじめなのに、なぜかそうなってしまう。美しすぎることが、もちろん大きな原因なのだが、ラーラ自身にも、そういった資質はあるのではないかと思う。隠してもあらわれてしまう情熱の気配、強い何かに守られて育ってきていないので、世の中の規範からついはずれそうになる。生命力にあふれた中年コマロフスキーにひかれてしまったのは、父親のいないコンプレックスからかもしれないし、こわいものみたさもあったかもしれない。知らない世界への好奇心も強いのだろう。そして、コマロフスキーが、ことばも悪く断じたように、生命力の勁(つよ)さという点で、似ているところもあったのかもしれない。

しかし、コマロフスキーに不純な女と断じられてから、目が覚めたように、パーシャと結婚。そのパーシャが革命軍に身を投じたのを、探しながら、看護師として、野戦病院に勤めることになる。ここで、ユーリと出会ってしまう。モスクワから遠く離れたこの土地で、半年を過ごすのだ。ユーリとラーラは、恋に落ちる。これを誰が責められるだろうか。「間違った手当てをしても、不思議と患者は治ってしまう」ユーリは、ラーラをこう評している。ラーラには、目に見えない何かがあるのだろう。

後年、ラーラはユーリの異母兄(アレック・ギネス)と出会うのだが、この男は筋金入りの革命軍の高官で、感情を一切あらわにしない、冷徹に尊敬する人を殺すこともできるタイプなのだ。それなのに、ラーラを愛してしまうのだから、驚く。これほどまでに、男性に愛されたラーラだが、最後は行方不明。多分、強制収容所で命を閉じたのでは、と推測される。それは後の話。

野戦病院における任務が終わり、ラーラとユーリは心を残しながらも別れて、それぞれの自宅に帰っていく。モスクワにあるユーリの贅沢な屋敷は、革命軍に没収され、見知らぬ人々が同居していた。また、その詩が反革命的だと発禁にされたユーリは、モスクワから逃れ、遠くペリキノにあるグロメーコ家の別荘に、数日の過酷な列車の旅を経て、命がけで引っ越した。そして偶然、ラーラが近くの町ユリアチンに住んでいることを知る。

幸せの氷の宮殿

ロシアの冬は長く厳しい。春が来て、ラッパズイセンの黄色が咲きほこる頃になると、ユーリはラーラに会いに行った。ここで、恋が燃え上がった。愛する妻の住む家と恋人のアパートを行き来し始めるユーリ。この原稿を書くにあたり、「ドクトル・ジバゴ」への感想をネットで調べてみたが、このあたりのユーリを批判する声が多かった。封切り当時の60年代の観客も、この成り行きに驚いたという。

しかし、ロシア革命という未曾有の社会情勢に生きる人の心境を、平和な時代に住みながら、あれこれ批判したとしてもなんになるだろう。人々に品行方正だけをのぞむなら、感情を一切排除した革命軍と同じになってしまうのではないか。原作者のパステルナークも、監督のデビッド・リーンも、理屈ではわりきれない、人間という存在の不思議を描こうとしたのだと思う。道徳的でない関係を描きながら、このお話があくまで清らかなのは、二人の女性が、どちらもユーリを愛しぬき、相手の女性を認めあい、ひたすらユーリの幸せを願っているからだろう。二人とも、本当はどんなにつらいかしれないけれど。だからこそ、ユーリはよけいに苦しむのだし、観客はいっそう胸を締め付らけれる。

トーニャに二人目の子どもが生まれるので、ユーリは散歩すると行って家を出、ラーラの元へ行き、別れを言い渡す。言い渡されたときの、ラーラの表情が忘れられない。ユーリがトーニャの待つ家に戻るその途中、パルチザンにより戦場に拉致され、軍医として拘束される。血と死の恐怖に満ちた地獄の戦場から、やっとのことで開放されたユーリは、自宅に戻るが、もちろん誰もいなかった。発狂寸前になりながら、ラーラの元にやってくるユーリ。その看病で、やっと生き返った。

ユーリのいない間に、一家は国外追放され、パリに向かったという。この後、家族とは、二度と会うことはできなかった。いよいよ町を出るとき、トーニャはラーラを訪ね、彼の形見のバラライカを託している。それはラーラにユーリを頼むという思いだったのだろう。ラーラの夫、パーシャは、赤衛軍という勢力の大物になっていた。その妻は、当局から狙われる。ふたりは危険から逃れるため、ユーリの別荘に移り住んだ。

彼の別荘は、小さなロシアのお城のような形をしているのだ。ロシア特有の大雪にまみれ、雪の女王の宮殿のようにもみえる。ここでふたりはしばしの蜜月を過ごした。暴風雨の夜、家のなかは、とくに明るく感じられる。それと同じなのだろう。明日をも知れない、今だけが本当のとき。革命の嵐のなか、ふたりの幸せはどれほど濃密だっただろうか。一生分の幸せがここにはあった。

しかしそんなユーリとラーラにも、別れはやって来る。危険は身近に迫っているのだ。ほかの場面は忘れてしまっても、この別れのシーンだけは、私の潜在意識の底深くに刻み込まれていた。ユーリは、迎えに来たコマロフスキーの橇(そり)にラーラを乗せ、母の形見であるバラライカを託すのだ。自分は後で行くから、とごまかして。しかし行くことはできない。橇が去ると、いそいで家に飛び込んだ。ロシアの冬は寒い。家のなかは、氷柱が下がり、氷に閉ざされた白い世界だった。その階段を全速力で上り、凍った窓を打ち砕いて外を見ると、橇は、地平線のかなただった。そして、すぐに見えなくなった。稀代の作曲家モーリス・ジャールの作った名曲「ラーラのテーマ」がこの場面の哀切さを際立たせている。

デモーニッシュな情熱

この物語は、原作者パステルナークの自伝的要素がつよい。彼自身、詩集が発禁処分となり、そして、天真爛漫な妻と情熱的な恋人と、ふたりの女性を愛したという。ラーラのモデルとなったその女性は、許されぬ関係を続けている罪で、二度、強制収容所送りになっている。現代、あちこちに転がっている安易な不倫とは違うのだ。パステルナークは本作「ドクトル・ジバゴ」でノーベル文学賞を授賞したが、授賞式に出ると、ロシアに戻れなくなるので、やむなく辞退している。

「アラビアのロレンス」で有名な監督デビット・リーンにも、道ならぬ恋の映画が多い。初期の名作「あいびき」、ベネチアを舞台にした「旅情」、この映画の後に作られた「ライアンの娘」。未確認情報によると、監督自身も恋多き人だったようだ。彼はこの映画で、出演者が足を列車に巻き込まれるという大怪我をしても、カメラを回し続け、その迫真のシーンは、今もDVDで見ることができる。また、階段を歩くねずみにも、スクリーンテストをしたという。まさしく、デモーニッシュな監督だ。

監督も原作者も、道ならぬ恋を賛美しているわけではない。こういうことが人生には起こりうるという、事実を伝えているだけだ。誰も悪くないけれど、人を傷つけてしまうことがある。自分も傷ついてしまうことがある。そうしたことで、自分自身も罰せられる。そしてその罪を背負って生きる。ロシア革命をいいとか悪いとか、断じることは、後年の歴史学者にはできるのかもしれない。しかし、その当事者は、最善をつくし、その人生を真っ当しているだけだ。すべての罪も思いも、それと同じ。

いずれにしても、この映画にのめりこみ、ユーリ・ジバゴが橇を見送るシーンで大泣きしまった過去のわたしより、彼を「ちょっとだけ身勝手かも。でも、彼も精一杯生きぬいた、ひとりの弱い人間なのだ」と冷静に分析できる今の私のほうが、安全で幸せな場所にいることは確かだろう。

宝石は、革命後の狂乱の時代には出て来ようがない。すべて没収されてしまったはずだ。ロマノフ王朝華やかなりし時代を彷彿とさせるのは、モスクワの上流階級で繰り広げられたクリスマス・パーティのシーンである。先ほど書いたように、トーニャは、後ろに大きなリボンのある白いドレスをまとって、首には、白いネックレス―さまざまなカットをほどこされたダイアモンドをいくつかイレギュラーに並べた―をまいていた。耳元には、同じダイアモンドのピアス。髪には、星の形のダイアモンド製の髪飾りをいくつか輝かせ、天使のように美しい。この屋敷のマダムは、ダイアンドのネックレス数本に、大粒のエメラルドをビーズのように連ねたゴージャスなネックレスを重ねている。そして、大粒のエメラルドのイヤリング。ほかの女性客たちも、長い真珠のネックレスや、ダイアのネックレスがきらきら。大粒のアクアマリンのネックレスや、サファイアをつらねたネックレス。ダイアモンドのティアラをつけた女性も多く見受けられた。これらの豪奢なジュエリーたちが、ロマノフ王朝の名品として、狂乱のロシアからヨーロッパに流出していったのだろう。

岩田裕子

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著者からのひとこと

「ドクトル・ジバゴ」は、197分、DVDでも2枚にわたる超大作で、制作費の総額1500億円という映画です。巨匠デビッド・リーンが、命がけで作った作品であり、脚本のみに2年、撮影に1年、スペインにロシアを再現するのにも、1年かかっているといいます。ちなみに原作は、10年かけて書かれました。これほどの映画ですが、アカデミー賞は、脚本賞などいくつかしかとっていません。1965年度のアカデミー作品賞、監督賞を受賞したのは「サウンド・オブ・ミュージック」です。こちらも、私が、高校生の頃から、魅了された映画。大作であるだけでなく、家族向きですから、相手が悪かったということでしょうか。