覇王別姫

シネマの宝石学
―洗練された大人のおとぎ話06

以下は「激動に生きた皇帝と捨て子の運命(1) 」からの続きです。

激動に生きた皇帝と捨て子の運命(2)

裏切られても愛する

一方、覇王別姫の主役は、京劇の人気女形、程蝶衣(レスリー・チャン)である。彼の母親は、最下層の遊女で、育てられなくなった幼い息子を、京劇の劇団に預けにきて、断られる。彼には、指が6本あったからで、母は小さな息子のため、その場で、包丁を取り、指を切り落とす。蝶衣(幼名、小豆)は、泣くこともない。無邪気さとは、すでに無縁なこどもなのだ。彼には、寒さをしのぐ毛布さえなかった。彼の財産は、布団の下に隠した数枚のコインと、もって生まれた美貌だけなのだ。

ここでの修行は、目を覆いたくなるほどの過酷さである。せりふを間違えたり、演技が下手だったり、些細ないたずらのたびに、頑丈な杖で、何度もぶたれる。頭に水の入った洗面器を乗せ、長時間、たたされる。体をやわらかくするため、片足を縛られ、肩まで上げさせられた形で立ち続ける。修行に耐えられず、逃げたり、自殺してしまう子もいるほどだ。

蝶衣は、耐えた。耐えることが出来、しかも天分があり、きっかけをつかんだ子供だけが、人気俳優として、別世界のような表舞台にのぼることができるのだ。西太后の宦官だったという老人に気に入られ、からだを犠牲に、蝶衣は、きっかけをつかんだ。成功。喝采を浴び、贅沢も思いのまま。

母がわりなどいなかった蝶衣にとって、唯一信じられたのは、修行仲間で、兄代わりの小楼だった。彼だけが、蝶衣をかばってくれた。小楼だけに心を許し、二人の役柄「覇王」と「別姫」そのまま、彼を愛した。しかし大人になった小楼は、コン・リー扮する娼婦、菊仙と結婚し、蝶衣のもとを去る。蝶衣には、有力なパトロンが現れた。しかし、小楼を愛するのを、やめることができない。

やがて時代が京劇に襲いかかった。文革の嵐は、俳優を罪人とみなし、蝶衣を法廷に立たせることになる。それにしても、文革の恐怖政治は、人間の人格を破壊する。わたしは、オウム真理教のリンチを思い出した。明るく、男らしく、豪放磊落な小楼が、その恐怖にいちばん弱かったのは、なぜだろうか。暴力的な、眼に見える恐怖には、絶対負けない男なのに、心理的な恐怖には、弱かった。小楼は錯乱し、妻も蝶衣も裏切ってしまう。妻は、衝撃をうけて、自殺する。蝶衣は、衝撃を受けながらも死ななかった。

やがて、文革の嵐もすぎ、11年ぶりに二人は出会った。舞台の上で、覇王と別姫に扮しながら、小楼は、こどものときのように、蝶衣をからかった。蝶衣の表情に、かすかな微笑が浮かぶ。彼の一生を通じ、めったに見ることの出来なかった幸せの微笑み。そして蝶衣は、物語の中の別姫そのまま、覇王の腰から、剣を引き抜き、自らの首に当て、自刃する。おそらく幸せの絶頂のなかで。小楼が叫ぶ。「蝶衣」と。それから幼名をつぶやく。「小豆」と。小楼もこのときはおそらく、こどもの頃のように、蝶衣を愛したのではないか。幸せな、恋の物語。

真珠と翡翠の運命

宝石は、当然、ラストエンペラーのほうに多く登場する。宝石は宮廷にとって、花やペットのように、身近なものだ。冒頭に登場する西太后は、複雑なつくりの髪飾りも、何重にも巻かれたネックレスも、きらきら光るイヤリングも、極上の黒真珠だ。そのうえ、死の床である部屋の中央には、天井から巨大な黒真珠がつってあった。

真珠は、皇族の正装に欠かせない宝石で、戴冠式の幼い溥儀の胸にもだらりと長い真珠の首飾りがさげられている。この首飾りが、後年、溥儀の運命、いえ、それだけでなく、中国と日本の運命をも左右することになる。

天津で、しばしの遊興にひたっていた溥儀の下に、衝撃的な知らせが届くのだ。蒋介石率いる国民党軍が、歴代清国皇室の墓をあばいたというのだ。西太后の遺体は陵辱され、由緒ある財宝は盗まれた。なかでもみごとな真珠の首飾りは、あろうことか、蒋介石の新妻、宋美齢への結婚の贈り物にされたという。これは屈辱だった。溥儀が、満州国におもむき、再び皇帝になることを決心したのは、このときだ。

そして、軍閥を始め、各種の力を結集するため、代々伝わる翡翠の数々を散財した。翡翠で、清王族のプライドを買おうとしたのである。この他、花のように美しい皇后、婉容の清楚な真珠のイヤリングも、印象に残る。また、スコットランド人の家庭教師ジョンストンは、溥儀にルビーの冠を贈られている。それは、赤に黒いふちのついた帽子で、てっぺんには、ルビーの玉がついているのだ。

一方、覇王別姫である。前半の修行時代には、当然、宝石などでてこない。蝶衣がおとなになって、人気役者になると、様相はがらりと変わる。小楼の顔に隈取を書いてやる蝶衣の指には、たっぷりと大きな紅珊瑚の指輪がつけられている。

圧巻なのは、富裕なパトロンから贈られた蝶のかたちの大きな宝石箱だ。ふたに描かれた蝶の羽は、白蝶貝で出来ているようだ。開けてみると、その中には、淡水真珠の装飾品がどっさり。舞台映えする華やかなものばかりで、蝶の形の髪飾り、簪、イヤリング、淡水真珠をビーズのようにつなげ、ところどころにピンク珊瑚が混じり、風もないのに、ふるふるとふるえ、可憐で、豪華で、目もさめる美しさだ。人々はいった。「西太后だって、役者にこれほどのものは、贈らなかっただろう。」

この華麗な装飾品も、文革が進むにつれ、悪の象徴だと、当局に眼をつけられることになる。翡翠も同じである。文革の狂気がきわまりつつある、ある夜、小楼と菊仙の夫婦は、翡翠の杯で、酒をくみかわす。「どうせ壊されるのだから、最後に」と。飲み干したあと、床にたたきつけて、割ろうとするが、なかなか割れない。粘性の強い翡翠らしいシーンである。

また、これはわたしの推測だが、ラストシーン、蝶衣が小楼の剣を抜き、自刃するとき、ちらっと映った指先に光っていたのは、翡翠の指輪ではないだろうか。

岩田裕子