10 黒蜥蜴

シネマの宝石学
―洗練された大人のおとぎ話10

映画 黒蜥蜴 京マチ子 美輪明宏(動画)

そして60年代邦画の華麗なダイアモンド

かつて、映画は夢の世界だった――豪奢な暮らしや甘い恋、絶世の美人やしゃれたコメディを映しだし、観客を、ひとときの幻想世界に招き入れた。宝石というきらびやかな小道具は、映画という仮そめの夢の宮殿を、いっそうきらきらと輝かせてくれた。やがて宝石店のほうも、スクリーンが、巨大な動くショーウィンドーであることに気づき、積極的に商品を貸し出すようになる。宝石と映画の蜜月。それは、60年代後半まで続く。

やがて、ニューシネマが登場し、夢に酔いしれた人々の頭に水をぶっ掛ける。贅沢や洗練されたコメディになれた眼には、身の蓋もない貧乏やみじめさ、危険な生き方が新鮮にさえ、映ったのだ。そんなこんなで、70年代以降、宝石の登場する映画は数少なくなっていく。私がいままで、この連載で、ご紹介させていただいた映画たちも60年代までのものがほとんどなのだ。

今回は、日本で60年代につくられた映画をいくつか取り上げてみた。とくに、おしゃれで、あまり知られていない、エンターテインメント限定である。宝石のでてくる邦画を探すのは、結構、難題なのだ。ジュエリーの歴史を考えれば、欧米にくらべ、数限られているのも、仕方がないかもしれない。とはいえ、古事記には、翡翠(ヒスイ)の女神が登場し、七宝として、瑠璃(ラピスラズリ)や瑪瑙(メノウ)が数えられた日本である。日本の宝石映画(宝石を題材にした映画)も、楽しさでは、負けていない。

宝石泥棒

珍しいところをご紹介しよう。昔、テレビの変な時間にみた、幻の名画である。1962年、大映でつくられた井上梅次監督作品で、その名も「宝石泥棒」という。二組の宝石泥棒が巻きおこすラブ・コメディだった。舞台は、あるリゾート地。有閑マダムの所有する伝説的なダイアモンドを狙って、サヨコ(山本富士子)とレイコ(野添ひとみ)の色っぽい女泥棒組と、ジレットのケン(川口浩)とゴロウ(船越英二)のプレイボーイ組が、争奪戦を繰り広げる。ジレットのケンの奔放な魅力に、まずは、獲物のマダム、それから、サヨコが夢中になり、サヨコにまとわりつく自称推理作家(菅原謙治)も加わって、恋のほうも争奪戦だ。さて、宝石は、誰の手に、というお話だが、物語は二転三転、スピーディで、盗みの手口も仕掛けがいっぱい。ゴージャスさは、ヒチコックの「泥棒成金」に負けるけれど、ドライなつくり、テンポのいい会話で、とにかくおしゃれなのである。ウエットな日本的美女の山本も、この映画では、クールでかっこいい。川口浩は、育ちがよく、スマートだけど、やんちゃな男の子の雰囲気があって、わたしもすっかりファンになってしまった。なぜ、幻といったかというと、めったにみられないからだ。私自身、今回かなり探したのだが、ビデオもみつからず、これは、記憶で書いている。ぜひもう一度、見たいものだ。

黒蜥蜴(京マチ子版)

同じ井上梅次監督が、もうひとつ、こちらは有名な宝石泥棒の映画を撮っている。ご存知「黒蜥蜴」(1962・大映)である。美貌の女賊、二の腕に、トカゲの刺青をいれている黒蜥蜴と名探偵、明智小五郎が対決するあのお話だ。原作は、江戸川乱歩。それを三島由紀夫が、耽美的に戯曲化している。大阪の宝石商、岩瀬家が所有する巨大なダイアモンド「エジプトの星」。妖艶なマダム、緑川夫人(京マチ子、実は黒蜥蜴)は、それがほしくてたまらない。岩瀬家の令嬢、早苗(叶順子)を誘拐し、彼女と引き換えにダイアモンドを手に入れようと、企てる。誘拐を阻止するため、やってくるのが、「犯罪から愛されている男」名探偵、明智小五郎(大木実)。至上の宝石をめぐり、命がけの戦いが繰り広げられる。東京タワーを取引場所に指定したり、黒蜥蜴の船にもぐりこんだ明智を海に放り込んだり。自ら殺した明智小五郎へ、愛していた、と涙をこぼす黒蜥蜴。愛していても、戦わねばならず、それというのも、美しい宝石への憧憬は、愛よりも、限りなく深いからで、美こそすべての黒蜥蜴は、美女や美青年を剥製にし、自分のコレクションに加えている。おどろおどろしくはあるのだが、ミュージカル仕立てになっているので、なんといっても楽しい映画だ。唐突に始まる歌やダンスには、少々たじろぐ。黒蜥蜴や部下はもちろん、剥製にされた人間たちも踊るというキッチュさで、この辺は、好みが別れるところだろう。笑ってみられる怪作というところ。

黒蜥蜴(美輪明宏版)

この「黒蜥蜴」は、1968年に、松竹により再映画化されている。こちらの監督は、「仁義なき戦い」や、最近では「バトルロワイヤル」で有名な深作欣二。黒蜥蜴は、決定版ともいえる美輪明宏。三島由紀夫は、美輪を称し、「黒蜥蜴がここにいる」といったとか。明智役は、七人の侍などにも出ていた木村功で、大木実やテレビでの明智役、天地茂と比べると、スマートで知的な明智となっている。ストーリーは同じだが、美しい男女を剥製にして飾るという倒錯した美学は、こちらのほうがインパクトがあった。見たのが、中学生くらいだったからかもしれないが、夢にみるほど、驚いた。恐くもあるし、しびれるようなエロティシズムがここにある。また、黒蜥蜴と明智小五郎の、宿命的な恋愛も、美輪版のほうが、濃密にえがかれていた。

注目したいのは、黒蜥蜴に魅せられ、忠実な部下となった美青年、雨宮潤一役である。早苗を誘拐するのだが、その後、二人は恋におち、緑川夫人を裏切ることになる。京マチ子版では、川口浩だった。美輪版では、川津祐介が演じている。「宝石泥棒」では、男の子っぽさが魅力的だった川口浩だが、こちらでは、さわやかすぎて、普通の好青年。異様な世界に魅入られた妖しさが感じられない。美輪版では、大島渚の「青春残酷物語」や、増村保蔵の「卍」などで、妖しい演技をみせた川津祐介。こちらの潤一は、黒蜥蜴に憧れているというより、同類のにおいがする。彼自身が倒錯した美意識の持ち主で、魔界の住人たる不思議さを、十二分に感じさせた。剥製にされたら、かえって喜びそうな美青年なのである。喜んで剥製にされてしまった作家がいる。戯曲化した三島由紀夫である。剥製として、特別出演し、肉体美を披露したのである。彼が黒蜥蜴の美輪にそっとキスされるとき――自ら作り出した耽美の世界が完成した瞬間ではないだろうか。

ややこしいのだが、三島は京版のテーマ曲を作詞している。

宝石とともに寝る夜は 冷え冷えときらめく臥所 不眠症の月 凝った刺青 熱い血は下水道に流す

美輪版の場合は、美輪明宏が、作詞している。

誰も入れぬ ダイヤの心 冷たい私の心の中には どんな天使も 悪魔の囁きも 男の愛など届きはしない

どちらの歌が、よりきらめいているだろうか。

べらんめえ芸者まかり通る

もうひとつ、めちゃめちゃエンターテインメントな映画のこと、書いてみたい。「べらんめえ芸者まかり通る」(1961年・東映)美空ひばりが柳橋の芸者役で、堅物のエリート外交官に、高倉健が扮している珍しい作品だ。羽子板の中から、美空ひばりが出てくる場面が、タイトルバック。地図のしみみたいなアフリカの小国コロンダ王国。この国は世界屈指のダイアモンド産出国なのだ。その採掘権をめぐり、外務省と、悪徳商社がしのぎをけずる。商社のバックには、ソビリカという大国が黒幕になっている。来日したアジバ6世の歓迎会が椿山荘(リアル!)で開かれ、芸者小春も呼ばれる。ひばりの黒田節に感動した王様は、星の形をした大きなダイアモンドのブローチをプレゼントするのである。借金から商社側になったひばり、採掘権の行方はどうなるだろうか・・・あまり古いので、見ている人はいないだろうが、一見の価値はある。当時のヒットシリーズであり、ひばり、建さんといった人気者がでているので、最近の低予算映画では、考えられないほど凝った華やかなつくりとなっている。たとえば舳先に翼のある怪物のついた金ぴかのボートを、インド風の衣装をつけた王と着物姿の小春がこぐシーン。川には、睡蓮があちこちに咲き・・・国籍不明の見たこともない独特の世界。ぜひ堪能してほしい。

岩田裕子

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