王様と私

シネマの宝石学―洗練された大人のおとぎ話11

ミュージカルの踊る宝石たち(3)

「王様と私」

“ミュージカルの踊る宝石たち(1)(2)”で紹介した「恋のてほどき」「マイフェアレディ」はいわば、階級差がテーマといえるが、1956年に公開された映画「王様と私」は、東洋と西洋の差違の物語となっている。1998年には、チョウ・ユンファとジョディ・フォスターにより、再映画化された「アンナと王様」と題されたこちらの映画は、ミュージカルではない。

その後、「王様と私」を再見し、古さを感じるかと思ったが、それどころではなかった。「アンナと王様」も良くできた映画だったかもしれないが、「王様と私」は、すばらしかった。1862年、デボラ・カー扮するアンナが、王の子供たちの家庭教師として、タイに赴任するところから物語は始まる。息子とふたり、遠い異国に来て心細いアンナだが、やさしさとユーモア、そして勇気で、この地に溶け込んでいく。

古い映画であるにもかかわらず、宮廷シーンの美しさに、ため息がでる。音楽に乗って、子供たちが登場するシーンが楽しい。個性が描き分けられているのだ。甘えんぼ、いたずらっ子、好奇心の強い子・・・、そして、威厳ある15歳の皇太子チュラロンコン。帝王学を学んでいることが一目でわかる。自然にアンナが、最敬礼する姿もこのましい。怖そうな王様が、どれほど子供たちに愛されているかも垣間見られる。その他、数多くの后たちとの交流や、第一夫人との信頼関係も描かれ、この映画の厚みとなっている。

王を演じたユル・ブリンナーは、オーディションで選ばれた。威厳があり、チャーミングな王である。上質なタイシルクでできた美しい衣装。はだけた胸のたくましさ。存在感が際立っている。圧巻は、イギリスの有力者を招いた晩餐会だ。劇中劇「アンクルトムの小屋」のエキゾチックな舞台の完成度。この劇はウエストサイド物語の監督、ジェロームロビンスが振り付けなのだ。

無事、お開きとなってから、立派に晩餐会を取り仕切ったアンナに、王は、褒美として、いつも小指にはめていた大粒のエメラルドを抜き取って贈る。常に身に着けていた指輪なだけに、その意味は大きい。アンナはそれを受け取り、人差し指にはめた。そのまま、二人で踊るシャル・ウイ・ダンスの楽しさ。初めて男と女を意識した二人。その後、ビルマの使者と駆け落ちした側女が、王に鞭打たれようとしたとき、アンナは耐え難く、指輪を、王に返してしまう。しかし王の死の床で、エメラルドの指輪は再び、アンナに贈られるのだ。

明るく、しかし、はっきり意見を主張するアンナは、つねに全知全能でなければならず、孤独だった王が、初めて得た対等の友人だった。そんな感謝の証なのか、それとも、男から女へ、愛の証として贈られたのか。その微妙さが心地よい。

ちなみにジョディ・フォスター版もチョウ・ユンファに指輪を贈られる。タイシルク製の宝石箱から、ダイアモンドの指輪が現れた。小粒のダイアモンドを花の形にかたどった、現代的なデザインだった。ジョディはこれを受け取らない。亡くなった夫を忘れていないからだ、と王は指摘し、話はアンナの精神的な傷に及ぶ。

新作のほうの指輪が、19世紀半ばのものには見えなかったのに比べ、「王様と私」の場合は、指の幅からはみ出そうなほど、大きなひとつ石だ。こちらのほうが、時代を考えれば、自然ではないだろうか。

「王様と私」は実在の物語で、タイのラーマ4世モンクット王と彼の子供たちのもとで家庭教師をしたアンナ・レオノウエルズの日記をもとに作られている。ラーマ4世は、アジアの国々が、イギリスなどヨーロッパの列強に侵略されていく時代、タイを守り抜いた王なのだ。15歳であとを継いだチュラロンコン王子、のちのラーマ5世は、名君として知られ、奴隷制を廃止した。映画では、アンナの影響とされている。

噴水に彩られた宮廷の庭で、ビルマから贈られた奴隷のタプティムが恋人と語り合うシーンも幻想的だった。

岩田裕子