恋の手ほどき

シネマの宝石学―洗練された大人のおとぎ話11

ミュージカルの踊る宝石たち(1)

「恋の手ほどき」

ミュージカルは、映画界に芳醇な香りを放つ大輪の花。とりわけ、50年代、60年代の映画は、たとえ深刻な内容を扱っていても、華やかで、幸せなオーラをふりまいている。そのたとえで言えば、宝石は、花の蜜だ。ミュージカルに登場する宝石たちは、上質の甘さと華やかな魅力で、観客という気まぐれなミツバチをとらえて放さないのだ。

宝石の選び方をレクチャーしてくれる映画がある。1958年に、公開された「恋のてほどき」。原題「ジジ」である。ヒロインのジジ(レスリー・キャロン)は、天真爛漫で、元気いっぱいの少女。かつて、富豪の愛人だった祖母に育てられている。彼女の友達に、大富豪の独身貴族ガストンがいた。恋が仕事みたいなガストンは、その虚飾の世界に疲れ果てると、ジジの家を訪れ、少女を相手に子供みたいにはしゃぐのだった。ジジにとってのガストンは、おいしいお菓子を持ってきてくれる気の置けない兄みたいな存在。

しかし、祖母の思惑は違った。将来は、ジジをガストンの愛人にしたいのだ。お金もないし、育ちもほめられたものではない。彼女たちの価値観では、それが一番の出世の道だった。祖母の姉は、愛人として成功し、今は執事つきの邸宅で優雅に老後を過ごしている。彼女を見習わせたい。週一回、ジジはその大伯母の家にレッスンに通わせられる。淑女になるためのレッスン。といえば聞こえはいいが、結局は大富豪に見初められ、その愛人になるためのレッスンだ。

ある日のレッスンは、代表的な野鳥料理、ホオジロの食べ方。無作法は、身を滅ぼす元、と大伯母はいう。そして、葉巻の選び方。吸い方ではない。紳士のために、よい葉巻を選んであげられるのが、よい愛人の条件なのである。次に、宝石の見分け方。「宝石の知識がないのは、女性失格よ」大伯母の口癖なのだ。あるマダムは、素敵な黒真珠のネックレスをしていたが、それは、まがい物だという。恋人の愛がさめているのに、本人はまだ気づいていないというわけだ。

大伯母は、自身の宝石箱を見せ、一つ一つ宝石を取り出しては、ジジに種類を当てさせる。輝きのよい黄色い石に、ジジは「トパーズ」と答えたが、それは、最高級のイエローダイヤモンドだった。アーモンド形のダイアモンドに、ジジがマーキース、と答えると、マーキースシェイプと直された。そして、極上のエメラルド。「緑色の光の奥に青い炎がみえるでしょ。青い炎は最高のものにしかないの」

王様にもらったのだという。「立派な王様?」ジジの質問に「いいえ、立派な王様はくれないわ。贈る必要がないもの」と、大伯母の答えはなかなかブラックだ。「くれるのは、照れ屋、威張りや、成金さん。でも、誰でもかまわないわ。二級品を身に着けなければいいの。妥協してはだめ。一流の宝石をプレゼントされるまで、待たなければいけないのよ」なんて実践的なレッスン。

それからジジの顔を観察し、「鼻と口はどうしようもない。でも、目とまつげと白い歯。それで何とか補えるわ」今もモデルやタレントなど、外見のプロは、こんなふうにクールに、容姿を採点されるのだろう。愛人という職業も、またプロなのだ。大伯母は、その職業に誇りを持っている。ある日、ジジは、にぎやかな子供から、可憐な美女に変身する。

驚くガストン。ジジは、みごとに、大富豪の愛人の座を射止める。そして、愛人デビューの日。美しく着飾ったジジを連れ、流行りのレストランに出向くガストン。大伯母様に教わったとおり、理想的な愛人を演じることができたジジ。しかし、ガストンはそれが耐えられなかった。あの、陽気で率直なジジが、権謀術数に彩られた社交界の仇花となっていくのが。ガストンは気づいた。ジジを本当に愛していると・・・。モーリス・シュバリエが、放蕩紳士を優雅で粋に演じている。まるでロートレックの絵の世界そのままのような、ベルエポックの美術がみどころだ。第一級とはいえないが、楽しめる作品となっている。

ところで、この物語は、もともと「ジジ」という舞台を映画化したものである。舞台で初代のジジを演じたのは、かのオードリー・へプバーンだった。原作者であるコレット女史が、ヒロイン選びに、困り果てていたとき、そのまえを、見たこともないほど、個性的な少女が走り抜けた。ある映画の端役として、花嫁姿で走っていた、まだ無名のオードリーだった。「私のジジが走ってるわ」コレット女史は叫んだという。オードリーはジジ役で、世界にデビュー。その舞台を見た監督ウィリアム・ワイラーが、映画「ローマの休日」の王女役に抜擢。オードリーは、たちまち大スターとなった。

岩田裕子