30 甘い生活

シネマの宝石学
―洗練された大人のおとぎ話30

ローマの魔法

ひどい目にあったのに好き、という感情が、恋愛に似ているのならば、私は、ローマに恋をしたのかもしれない。アムステルダムで運河をクルーズし、ミュンヘン郊外にある古城の麓に滞在し、比較的安全なヨーロッパを後にして、ローマに到着。空港ホテルから、ど真ん中のホテルに移った直後のその昼日中、私は、突然ひどい目にあった。夏でも涼しい北部の都市にくらべ、ここローマはじりじりと肌が焦げ付きそうなほど、熱い。この熱気にやられたのだろうか。どこもかしこもが遺跡という奇跡の街に感覚が少しずれたのか、事件の30分ほど前、私は突然、連れと大喧嘩をしていた。「ローマでは気をつけなくちゃ」とは、初ヨーロッパだった大学の卒業旅行以来、肝に銘じていたはずが、私は怒りのまま、バッグの中身も確認せず、そのへんにとまってた観光用オープンバスに乗り込んだ。

ローマの観光地を周遊し、2日間、乗り捨て自由のこのバスは、一人になると、いっそう耐え難い熱さとなった。空の青ささえ、凶器のように肌に突き刺さった。私は喉の渇きを感じ、水さえ持っていないことに気がついた。テルミニ駅でオープンバスを乗り捨て、チェーン展開しているらしきカフェで水を買った。喉が焼け付くように暑い。ボトルウォーターを待っているとき、色の浅黒い黄色い服を着た女性に「ケルレティル?」と時間を聞かれた。なぜ、フランス語だったのかわからないが、私は飲み物に気を取られながら教えた。それでも何度か聞かれて、腕時計を見せた。私はどこでもよく時間を聞かれる。ルーブルでも、バリの海岸でも、台湾のお寺やシベリアの山道でも。しかし、今までは安全だった。ボトルウォーターを手にして、喉の渇きをいやし、安全そうな綺麗なカフェで、バッグの中身を整理したら、青いポーチがそこになかった。パスポートやカードやユーロなど一切がっさいの貴重品は消えた。時間を聞く手にやられるなんて、うかつだった。私は犯行現場にもどり、「パスポートを盗まれた。何か見ていないか」とさっき、応対した青年に聞いた。犯人と同じように浅黒い肌。彼はスリの所業をみていたのではないか。それとも・・・ ひょろりとした店員は、私を見ると、大きな声で笑った。悪魔のように。

ローマの魅惑

テルミニ駅のはじっこにある警察署は、各国人の被害者であふれていた。体の大きなイギリス男性、子供連れのアメリカ人ファミリー、不安そうなスロベニアの女性、スタイリッシュな香港人のカップル、スカーフを巻いたアラブの少女。英語のわかる警官は一人しかいない。かなり待たされる。私は犯人や現場を説明したかったけど、忙しくてそれどころじゃないらしく、「これからは気をつけて」と言われただけだった。手持ちがほんの数ユーロしかないので、タクシーをやめ、例のオープンバスで、ホテル近くまで行き、あとは、iPhoneのマップと出会ったパトカーに聞き、ホテルにもどった。懲り懲りしても、大使館で渡航証明書を出してもらわなければ、この街をでることさえできず、何より日本に帰れない。その日は土曜で、大使館が休みだったこともあり、数日、ローマに滞在することになった。

ふさぎこんでいても、ここはローマだった。夜10時になっても、レストランは混み、夜中でも、街はラッシュアワーのように賑わっていた。人の囲いをくぐり抜けなければ、遺跡をみることができない。広場のあちこちで、小さな花火が炸裂し、ローマの夜を明るく照らす。ジャニコロの丘では、優雅な紳士から深紅のばらを贈られた。夜のトレビの泉はこわかった。前に来たときは気がつかなかったが、ポーリ宮殿の壁と一体になって、そこに神々が彫られている。海神ネプチューンや豊饒の女神ケレスに見守られ、噴水は、永遠の生命を吹き出していた。アフリカ、メキシコ、カナダ、ドイツ・・各国の観光客とローマ中を回り、夜食をともにしたナイトツアー、オープンカフェでのディナー、ボルゲーゼ公園の屋根付き自転車や、バチカンのミケランジェロ。遺跡や名所、そしてこの都市の空気が、私の心を魅了していく。

チネチッタ

大使館の帰り、メトロの案内を見て驚いた。地下鉄路線図A線のはじっこに、チネチッタCinecittaとかいてあるではないか。チネチッタって、あの? ローマといっても郊外にあると思っていた。それが、地下鉄で行けるなんて。映画の魔術師、フェデリコ・フェリーニ。彼の映画は、魔法の薬のように、人々を夢と現実のはざまへ誘い込む。華やかで、深い。いい加減なようで、暖かい。スィートでスリリング。「チネチッタ」は、フェリーニの最後から二番目の映画「インテルビスタ」で、その名を知った。日本人のテレビクルーがチネチッタを訪れ、年老いた本物のフェリーニを、取材する話だった。メトロを出ると、目の前がチネチッタだ。チネチッタとは映画都市の意味。ムッソリーニが建設したという、世界有数の広大な撮影所だ。フェリーニの他、ヴィスコンティの「山猫」やウィリアム・ワイラーの「ベン・ハー」など、数々の傑作が撮影された。英語とイタリア語、どちらかのガイドツァーに参加することで、見学が許される。映画「ギャング・オブ・ニューヨーク」で使われた前世紀のニューヨークの街並みや、アメリカの人気ドラマ「ローマ」も撮られた古代ローマが野外に再現されていた。「テルマエ・ロマエ」の撮影もここらしいが、イタリア人の若いガイドはそれを知らなかった。「フェリーニが大好き」丸めがねをかけたイタリア娘のガイドにいうと、すごく喜びながら、伝説的なスタジオを教えてくれた。スタジオ5。ここで「道」をはじめとする、フェリーニのめくるめくの名作の数々が撮られたのだ。

甘い生活

フェリーニ不朽の名作「甘い生活」もまた、このスタジオ5で撮られている。フェリーニの分岐点となったこの映画は、当初、「ヴェネト通り」というタイトルにしようと制作側は考えていた。主人公のマルチェロは、ローマのゴシップ記者で、ヴェネト通りのカフェにたむろし、有名人を見つけて追いかけたり、仕事仲間との連絡や友人との待ち合わせに使ったりしていた。ヴェネト通りは、舗道がひろく、そこにでているオープンカフェは、世界中で一番おしゃれと言われる。「甘い生活」が撮影された50年代は、世界各国からきた有名人で賑わっていた。オードリーに、ゲーリー・クーパー、オーソン・ウェルズ、ジャン・コクトー、そしてシャネル。

連れが前日、予約したのが、ヴェネト通りのホテル・マジェスティックだった。このときだけ、たまたま少しお手頃だったという。あとで知ったら、マイケル・ジャクソンも泊まったことがある、ヴェネト通りの名物のひとつだった。通りに沿って、ゆるくカーブを描くクラシックな黄色の建物で、内装は、薔薇の深紅をテーマカラーにしていた。廊下には、金色のドアが続き、そこに深紅の照明が点々とともる。さながら、ピジョンブラッドのルビーのようだ。客室の窓を彩るカーテンも、同じ赤。こんな綺麗な赤い布を、私は生まれて初めて見た。すごく上品で、だけども気取らない赤。可愛いけれど、大人の赤だ。朝食は、階上のバルコニーでとる。四角いパラソルの下のテーブル。その向こうには、ヴェネト通りの木々がみえる。爽やかな風。ソフィア・ローレンがバルコニーで恋をする。そんな映画をみたようにも思う。

ローマ大好き

映画「甘い生活」は、いくつかの印象的なエピソードでできている。冒頭は、ヘリコプターで運ばれる巨大なキリスト像。つかみはオッケイだ。流行りのナイトクラブでは、エキゾティックな東洋の踊りが見られ、ゴシップ記者(マルチェロ・マストロヤンニ)が貴族を調べていた。きまぐれな富豪の娘マッダレーナ(アヌーク・エーメ)との一夜のアヴァンチュール。ちまたには、聖母マリアのお告げを聞いたという子供たちに、救いを求める人々が群がる。貴族の館で繰り広げられるパーティもあった。先祖に教皇ユリウス2世をもつという由緒正しい、しかしほどよく頽廃的な公爵家のサロンで、ドーベルマンの石像が美しい中庭をとおり、貴族たちは、ゴージャスなマントをはおって、古い屋敷へ幽霊刈りにでかけるのだ。年上の友人スタイナーの話もある。マルチェロは、芸術家や知識人が集まる彼のパーティに呼ばれる。スタイナーは、生活のため、有名人を追いかけるマルチェロに、ちゃんとしたものを書くようにすすめる。才能があるのだから、と。マルチェロは、彼のことばは素直に聞くのだ。しかし、あこがれの先輩は苦悩していた。秩序ある社会に守られた、平和な生活がつらいのだと。友人も多く、可愛い子供たちと陽気な妻、財産も気持ちのいい住まいもあるというのに。上京した父親とマルチェロの、愛し合っているけれど、軽くすれ違う想い。父は、なかなかの洒落人だが、年のせいか、少し体調が悪くなる。マルチェロが、明日はローマを案内したいというのに、そうそうに帰ってしまう父。二人で出かけた賑やかなキャバレーで、気のいい踊り子や、風船使いの道化師が登場するシーンも暖かくて、美しい。どのエピソードも、さらっと描かれているようで、深い。登場人物の背景や想いが、心に残る。凡百の映画は、この中のただ一つのエピソードにも及ばない。恋多きマルチェロは、アメリカから来たスター女優の自由奔放さに惹かれながらも、一方で、同棲中の恋人を切ることができない。彼女は、堅実な生活の象徴で、恩着せがましく愛を強調し、「自分がいなければ、あなたは生きていけない」と断言する。マルチェロは、「うるさい、別れる」と言いながらも、彼女を捨てきることができない。子供好きな彼女の安定感のある愛に、癒されてはいるのである。それぞれの人々の甘い生活、甘い人生。ドルチェ・ヴィータ。ニーノ・ロータの音楽が、絶妙に甘く、切なく、そして明るくはじけている

自暴自棄のマルチェロ

敬愛する友人スタイナーは、ある日、子供を道連れにピストル自殺してしまう。満ち足りた生活がつらいという、その自殺は、世間的には理解されない。「彼は恐れていたんだ」とマルチェロがいうと、担当刑事は「誰かに強迫されていたのか」と聞くのだ。指針を失い、自暴自棄になったマルチェロは、海辺にたつ別荘で仲間たちと乱痴気バカ騒ぎを繰り広げる。夜明かしした浜辺に、深海の怪魚が打ち上げられた。まるで、マルチェロの今の心境のように、どんよりとして、気味が悪い。海岸の向こう岸で、天使のような少女が、マルチェロに何かを伝えようとしている。しかし、なんといっているか聞き取れない。少女が何を言っているのか、この時のフェリーニも、わからなかったのでは、と私は思っている。なんでもありの自由奔放な世界と、真っ当な生き方と。享楽に流されるのか、理想を追い求めるのか。迷っているマルチェロに、もっともっと自由に表現したいフェリーニが重なる。

3年後、「甘い生活」の答えに当たるような映画を作る。「81/2」がそれだ。「甘い生活」の冒頭、主人公マルチェロは、ヘリコプターで巨大なキリスト像を運んでいるが、3年後の「81/2」では、グイド(マルチェロ・マストロヤンニ)が、渋滞のクルマの列から抜け出し、自らが空を飛ぶ。そこに、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」が鳴り響く。のちに「地獄の黙示録」でも使われたこの曲は、個人的な夢のシーンにかぶさると、実に景気がいい。この映画では、主人公の映画監督が映画作りに迷っている。しかし、迷っているその心境をそのまま映画にしてしまうほど、フェリーニは、強くて自由自在になった。「人生は祭りだ」とこの映画で主人公グイドに言わせている。「甘い生活」のマルチェロは、行先をみつけたのだ。

トレヴィの泉のアフロディ

フェリーニは、「甘い生活」について聞かれたとき、「アニタ・エクバーグだ。それに尽きる」と答えている。スウェーデン生まれのアニタは、グラマラスな肢体とずば抜けた美貌、その明るい表情でとても魅力的だ。彼女が演じるアメリカの大スターは、アリタリアで飛んできた。空港に降り立つ、その姿の圧倒的な存在感。マスコミも、誰も彼も思わず夢中になってしまう。黒い帽子で髪をかくし、禁欲的にキリッと見えたアニタだが、サンピエトロ大聖堂の展望台で、帽子が風に飛ばされ、はらりとおちたたわわな金髪の刺激的な美しさといったら。カラカラ浴場あとのナイトクラブで、踊りまくる女優。真夜中、犬の遠吠えを真似して野犬を招き、子猫をひろって、マルチェロにミルクを探させる。気がついたら、女優は、トレヴィの泉のなかにいた。豪奢なドレスのまま、噴水の水しぶきを頭から浴びる女優は、あらゆる神々に祝福された美の女神そのものだ。神々しいほどの、官能的な美しさ。さすがのマルチェロも「悪かった。君が正しい」とつぶやいてしまう。

アニタ・エクバーグのジュエリー

アニタ・エクバーグの自由奔放さこそ、フェリーニの宇宙そのものではないだろうか。彼女のジュエリーがまた素晴らしい。

イタリアはジュエリーの都で、この映画には、おびただしいジュエリーが登場している。話題のナイトクラブや、カラカラ浴場あとの野外レストランにも、業界人や正装した貴婦人たちがジュエリーをたくさんつけてやってくる。みな、遊び慣れしているのだ。大人がいくつになっても遊べるのは、成熟した街の条件だろう。踊り子も、大きなリボンのついたカンカン帽と60年代らしい裾の膨らんだドレスに、3連の真珠のネックレスでかわいらしい。乱痴気騒ぎで、離婚記念にストリップすることになるマダムも、黒いドレスの胸元に、何連もの真珠のネックレスをつけていた。法王を二人も出したことのある公爵家のパーティーは、まさに、ヨーロッパの伝統の重みそのものだ。上流夫人やモデルたちの、きらびやかなパリュールや、あらゆる形のティアラを見ることができる。この家の老公爵夫人は、眠ってばかりいるほど高齢だが、豪奢なイブニングドレスに、繊細なつくりのティアラと、みごとな真珠の5連のドッグネックレスをしていた。代々、その環境で育ってきた老婦人にとって、宝石は、懐かしい幼なじみのような存在だろうか。

アニタ・エクバーグ演じる、野性的で自由な女優は、大胆なジュエリーのつけ方で、ひときわ存在感を放っていた。この映画は、モノクロなので、何色のドレスかわからないが、濃い色のドレスを着て、髪をアップにし、飛行機のタラップを降りてくるアニタ。その胸には、手のひらほども大きな、三日月型のブローチが輝いていた。三日月の外側の半分は、サファイア、内側はダイアモンドで出来ているように思える。それとも、ダイアモンドとルビーで、ドレスは、濃い赤かもしれない。シャンパンとともに開かれた記者会見では、右腕に、大振りなダイアモンドのブレスレットを三本はめていた。ものすごく大きなそれをいくつも並べている。透明な輝きを放つダイアモンド。代々続く貴族のエレガントなティアラとは対照的に、彼女の個性そのままにつくられた、新しくて、知的で、強い宝石だった。

さよなら、ローマ

東京にいる妹に書類を送ってもらい、大使館から、無事渡航証明書が降りた。その夕方、私たちはフィレンツェ行きの列車に乗るためテルミニに向かった。ローマは世界にふたつとない特別な街。ローマにいると、人々は、いつもよりずっとずっと魅惑的になれる。ホテルからテルミニ駅に向かう、その途中、トレヴィの泉をもう一度見たくて、私はひとりタクシーをおりた。その日も混雑していて、なかなか水辺にたどり着けない。やっとのことで水に手をふれた。さらっとしたきもちのよいひなたみず。私は、コインを投げ入れた。ひどい目にあったけれど。やっぱりローマにはどうしても、また来たい。「どの国も、どの都市も大好き」と言おうとして、つい「やっぱりローマが好き」と叫んでしまったあの王女さまのように、私はこの危険で死にそうなほど熱い街を愛してしまっていた。

岩田裕子

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